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元伊勢市役所職員が復興支援で岩手県職員に―単身山田町へ移住

元伊勢市役所職員が復興支援で岩手県職員に―単身山田町へ移住(写真は、正月休みに帰省した野村さんと志摩市横山展望台から見たリアス海岸の英虞湾)

元伊勢市役所職員が復興支援で岩手県職員に―単身山田町へ移住(写真は、正月休みに帰省した野村さんと志摩市横山展望台から見たリアス海岸の英虞湾)

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 東日本大震災で被災した岩手県下閉伊郡山田町で継続的な支援活動を続けてきた元伊勢市役所職員の野村繁幸さんが昨年4月、岩手県庁職員(総務部人事課)に採用され山田町役場に県の派遣職員として勤務している。

正月休みに帰省した野村さんと志摩市横山展望台から見たリアス海岸の英虞湾

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 志摩市阿児町出身の野村さんは、伊勢市役所を25年まで残り2カ月を残した2011年の1月末日に退職。震災発生の3月11日は自宅からその様子を食い入るようにテレビで見ていた。「あるタイミングでボランティアに行く事が出来れば」と考えていたという。

 伊勢市役所を辞める直前の課が市民交流課で地域のNPOのサポート業務などを行なっていた野村さんは、2004(平成16)年に起こった台風21号による被害が伊勢市内に及んだ時に、NPOとの関わり方やボランティアの受け入れ窓口の運営方法などの経験を積んだ。その時の出会いを通して、山田町での三重県側のボランティア窓口の運営メンバーとして協力して欲しいと要請を受け、率先し2011年4月20日から無償で現地に入った。野村さんは「その時、市役所を辞めていなければすぐには動けなかっただろう」と当時を振り返る。

 その後2012年の2月まで、月に1度のペースで(1カ月平均約15日間)、それ以降も継続的に山田町を訪れ、自分にできることは何かを考え行動していたという。2012年4月には国の助成制度「グループ補助金」(震災で被災した中小企業の施設や設備の復旧と整備を支援するため、事業費の75%を上限に補助)の申請手続きを支援し、計23億円の補助金交付を受けたり、山田町の商品を他地域で販売する「山田のご縁」プロジェクトに、伊勢市役所の元同僚や後輩たちに呼びかけ伊勢市との架け橋を作ったりしてきた。

 現在の山田町は、がれきの撤収はほぼ終了したが住民はまだまだ仮設住宅での生活。今後約150億円を掛けて用地を買収し、道路整備を行い建物を建て町を再生しようとしている状況だという。

 野村さんは「ある方から勧められ岩手県庁職員の採用試験を受けたら合格してしまった(笑)。ここまで山田町にボランティアで関わらせていただき、その後の復興過程もこの目で見ておきたいという思いもあり、採用を機にここに住むことを決意。昨年4月から単身、アパートでの生活を送っている。これまでのボランティア活動でほぼ退職金を使い切ってしまったので、お給料を頂いて山田町に貢献できることはとても幸せなことだと実感している」と話す。

 野村さんは「自分にできることは『行政と民間との通訳』。グループ補助金の申請を手伝って欲しいと言われてその資料を見た時に、行政の立場では到底通るものではなかった。時間も限られていたので伊勢の仲間にも手伝ってもらって申請書を作り、補助金の交付を受けることができた時には、僕たちも嬉しかったが何よりも山田町の中小企業の代表者の方々が心から喜んでくれたことが本当に嬉しかった。お役に立てたという実感をかみしめた」と漏らす。

 2012年と2013年の10月に伊勢で行われた神嘗(かんなめ)奉祝祭に「日本の祭り20選」にも選ばれている同町の「三陸山田 八幡大神楽」がやってきた。伊勢の山田と三陸の山田の祭りの橋渡しにも野村さんたちが関わった。今年の神嘗奉祝祭にもさらにパワーアップした山田町の八幡大神楽がやってくる。

 「今後もし実現できるなら、伊勢志摩の人たちに山田町の震災の爪あとを見学するツアーや山田町の商品を紹介したりすることができれば。さらには自分が経験したことを地元に少しでも伝えられたらと思う。同じリアス海岸を持つ地域で、体感し住んでこそわかる防災に関することが、生まれ育った故郷でより生かされれば本望」とまだまだ熱い。

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