伊勢神宮の祭典などで使う米を栽培する神宮専用の水田「神宮神田」(伊勢市楠部町)で4月4日、耕作始めに当たる「神田下種祭(しんでんげしゅさい)」が執り行われた。(伊勢志摩経済新聞)
日本神話「天孫降臨」でアマテラス自身が高天原で行なっていた稲作を子孫のニニギに託した「神との約束」をルーツとして、伊勢神宮では「稲作・米作り」を尊んでいる。神宮で執り行われる全ての祭典がこの米作りにつながると言っても過言ではない。同祭はその米作りの一番最初の祭典。この日は、鷹司尚武大宮司をはじめ、神宮関係者や地元住民、農業関係者ら約80人が参列した。
同祭には、最も汚れのない神に近い存在とされることから童男(どうなん)と呼ばれる少年が奉仕する。まず田を耕す道具「鍬(くわ)」を作るために、神田に隣接する「忌鍬山(ゆぐわやま)」へ入ることを神に許しを請う「山口祭」を行う。次に、木を切ることの許しを請う「木本祭」を行い、童男がイチイガシの木を切り鍬を完成させる。今回の童男には、五十鈴中学1年の西田陽彦(はるひこ)さんが選ばれた。
鍬が完成すると、禰宜(ねぎ)以下の奉仕員は「マサキノカヅラ」と呼ぶ「テイカズラ」のつる草を輪にした飾りを烏帽子(えぼし)に付けて下山する。同祭はかつて、旧暦の2月の初の子(ね)の日に行われ、鍬を作るところから始める神事なので「鍬山(くわやま)伊賀利(いがり)神事」と呼ばれていた(「伊賀利」は田畑を荒らすイノシシを追い払う・イノシシ狩りの意とされる)。
黄色の装束をまとった神宮技師の山口剛(つよし)作長が、完成したばかりの鍬を持ち、左右正面に3回耕す所作を計3回(正面西東に移動)行い、続いて禰宜から作長に「忌種(ゆだね)」と呼ぶ清浄な米の種が大切に手渡されると、作長はそれを白装束姿の作丁(さくてい)と呼ぶ奉仕人に振り分け、作丁が神田に種をまいた。その間、奉仕員は「天鍬(あめくわ)や 真佐岐(まさき)のカヅラ 笠にきて 御田(みた)うちまわる 春の宮人」と唱和する。
神宮神田の総面積は約10ヘクタール、作付面積は約3ヘクタール。神田にまいた種は、最も早く実るうるち米の「チヨニシキ」。神田ではそのほかにうるち米の「キヌヒカリ」「カミノホ」「イセヒカリ」、餅米の「アユミモチ」などの品種が作られる。「神田御田植初(しんでんおたうえはじめ)」が5月10日に行われ、伊勢に本格的な春が訪れる。