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鳥羽市相差町で111回目の「旧海軍駆逐艦 春雨供養祭」

鳥羽市相差町で111回目の「旧海軍駆逐艦 春雨供養祭」

鳥羽市相差町で111回目の「旧海軍駆逐艦 春雨供養祭」

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 旧海軍の駆逐艦 春雨(はるさめ)の遭難で亡くなった御霊(みたま)を供養する111回目の「春雨供養祭」が11月24日、春雨公園(鳥羽市相差町)に立つ「大日本駆逐艦 春雨殉難記念碑」の前で行われた。

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 朝から青空が広がる快晴の日、軍艦旗(旭日旗)を掲揚し、同公園にある「常永久(とことわ)の鐘」が鳴らされると殉職した御霊への黙とうが行われた。神明神社(同)宮司による慰霊祭が執り行われ、参列者による献花がささげられた。喪服姿の同町女性約40人による「春雨艦遭難和讃」とお経が唱えられ、愛知県春日井駐屯地(春日井市)第10施設大隊の隊員らで結成する和太鼓集団「桃陣太鼓」の演奏が行われた。

 春雨は1903(明治36)年、国産第1号の軍艦として建造され、木造船ながら総排水量375トン、出力6000馬力、最大出力29ノット、全長69.2メートル、全幅6.6メートル、魚雷発射管2基を搭載するなど、当時第一線級の駆逐艦として日露戦争などに従軍した。

 1911(明治44)年11月23日、春雨は横須賀から佐世保に向かう途上、的矢湾口の菅崎沖で嵐に遭遇、避難するため的矢湾に入港しようとした際、強風と高潮により座礁。翌24日早朝、長岡村相差(現・鳥羽市相差町)と安乗村(現・志摩市阿児町安乗)の漁師や海女ら村民たち総出で嵐の中救出に当たったが、乗組員64人中、大滝道助駆逐隊司令・海軍中佐、児玉兼三郎春雨艦長を含む44人が犠牲となった。

 慰霊碑は同地と対岸の安乗岬園地の2カ所に設置され、相差町ではこの事故を教訓に海上安全と平和祈願のための供養祭を毎年行っている。

 供養祭には、相差町内会や自衛隊関係者ら約150人が出席、ソマリア沖海賊対処活動のため海外派遣中の海上自衛隊護衛艦第4代「はるさめ」艦長・伴昌幸2等海佐からの献花も慰霊碑の前に並べられた。

 この日は、自衛隊の部外土木工事として鳥羽市が発注し、同公園までの906メートルの道路の拡幅工事を担当した愛知県春日井駐屯地第10施設大隊の隊員計73人による道路完成の竣工(しゅんこう)式も同時に行われた。

 中村欣一郎鳥羽市長は「当時の長岡村、安乗村の人たちの勇敢な行動と必死の努力により多くの乗組員が救助された。殉職した乗組員の霊を供養するため1937(昭和12)年に殉難の碑が立てられ眺望の良い春雨公園として整備された。以来111年間にわたり毎年このような供養祭が行われていることに深く感謝すると共に心より敬意を表する」とあいさつ。公園までの道路の拡幅工事が完成したことにも触れ、「ヘリポートの利用や高台への避難など防災面への向上のほか、春雨公園の観光施設としての魅力もさらに向上すると思う」と期待を寄せる。

 世古務相差町内会会長は「その当時のわが町の青年たちが中心となって行われた春雨乗組員の救助活動は今でも語り継がれている。私たちもこの歴史を守り、次世代につないでいくことを大きな責務だと思っている。『常永久の鐘』は今から17年前に設置したが、今は幸福・平和を祈る鐘として親しまれている。犠牲になられた44の御霊が安らかなることを祈念する」と式辞を述べた。

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