来年度で開校9年目となるコミュニティー大学「賢島大学」(志摩市阿児町神明)の定例教養講座が1月22日、広域通信制高校の「代々木高校」(同)講義室で行われた。
同大学は、同校が取り組む「伊勢志摩元気プロジェクト」の一環として2007年6月に開校。地域をより元気にしていこうと、地域の歴史や文化について学んだり、地元で活躍する人の話を聞いたりする月1回の定例講座と数回の特別講座などを開催する「いつでも学びたいときに入学できるコミュニティー大学」だ。
今回は、三重大学客員教授を務め南伊勢町(旧南勢町)田曽浦出身で現在82歳の川口祐二さんが生まれ育った海辺の漁師町で実際に体験した話と、川口さんが直接人から聞いた話を基に、その時どう行動したか、どう感じたかについて話した。
川口さんは1944(昭和19)年12月7日に発生した東南海地震を小学生の時に経験。昼の授業が始まった13時ごろ地震が発生。教室から運動場へ出るのに、運動靴を履いていた自分よりもわら草履を履いていた友達の方がまごつかず早く逃げることができたことや、運動場に亀裂があったこと、担任教諭の判断で高い所に逃げ宿田曽小学校95人が無事に助かったことなどを話した。
また、1935年(昭和10)年に中国の船「華戍輪(がじゅりん)号」が遭難した時、村中の人が協力し合って乗組員54人全員を救出したこと、1947(昭和22)年9月13日に田曽浦で56戸全焼、死者350人の大火事が発生した際、遠洋漁業で交流のあった宮城県の気仙沼や岩手県の山田町から救援物資など送られたこと、2011年3月11日の東日本大震災の翌日にその時の恩を返しにとトラック1台分の物資などを集めて届けたことなども紹介した。
川口さんは「東南海地震の時、津波が到達したため、五ヶ所ではミカンの集荷時間と重なり、ミカンが全て流されて、次の日の朝そのミカンが浜にたくさん打ち上げられた。当時は食べるものがほとんどなかったので、そのミカンを食べたらすごくおいしかった」というエピソードも披露。「災害が発生した時には、みんなが手を取り合って助け合うことが最も大切」と強く訴えた。
同大学への入学には年会費3,000円が必要。入学は随時受け付けている。受講費は1講座500円。