伊勢市(旧宇治山田市岩渕町)出身の伝説の名投手・沢村栄治を顕彰するNPO法人「澤村榮治顕彰会」が2月1日、沢村の生誕100年を記念し近鉄宇治山田駅前にある明倫商店街(伊勢市岩渕)アーケード内に石碑「全力石(ぜんりょくいし)」を建立した。
1917(大正6)年2月1日生まれの沢村栄治は、明倫小学校(伊勢市岡本)時代から野球を始め、京都商業学校(現・京都学園高校)へ。同郷の山口千万石(せんまんごく)捕手とバッテリーを組み京都商業時代の1933(昭和8)年春と1934(昭和9)年春・夏の高校野球全国大会に出場、甲子園のマウンドを踏んだ。1934年日米野球の全日本チームに出場し、ベーブ・ルースなどクリーンアップを4者連続三振に取る。
1936(昭和11)年にプロ野球(職業野球)リーグが誕生すると東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)の選手として活躍。プロ野球通算63勝22敗、防御率1.74、ノーヒットノーラン3回達成。1944(昭和19)年12月2日出兵し、乗船していた船が撃沈され戦死。享年27。巨人は没後1947年7月9日、沢村の功績をたたえ背番号14番を永久欠番にし、プロ野球年間最優秀投手に贈る賞「沢村栄治賞(沢村賞)」を設立した。1959(昭和34)年野球殿堂入り。
沢村の100回目の誕生日に当たるこの日、生誕100周年事業の一つとして同顕彰会が、地元の小中高生が命名した石碑「全力石」の除幕式を行った。除幕式には鈴木健一伊勢市長のほか、元巨人で沢村賞を受賞した投手の西本聖(たかし)さんも出席。石碑には沢村の名言「人に負けるな どんな仕事をしても勝て しかし堂々とだ」が彫られている。
西本さんは「1981(昭和56)年、ドラフト外で入団した自分が、夢の夢であった巨人軍の開幕投手を任され完封勝利し、セリーグ優勝を果たし、沢村賞を受賞。日本シリーズでも日本ハムを破り日本一になり、その上MVPも頂くことになる最高の年だった。沢村賞を受賞したことで沢村賞の名に恥じない、傷つけてはいけないという思いでプライドを持って20年間のプロ野球人生を送ることができた。沢村賞を頂いたおかげで自分をここまで成長させていただいたと思っている。感謝の気持ちで一杯」と沢村賞・沢村への思いを話す。
そのほか伊勢市は沢村栄治生誕100周年記念事業として、倉田山公園野球場で3月22日(13時~)にプロ野球オープン戦「巨人VS日本ハム」、伊勢市観光文化会館(伊勢市岩渕)で3月20日~26日(9時~19時)に「沢村栄治生誕100周年記念展」、3月25日(18時30分~20時30分)に山田雅人さん公演「沢村栄治物語」を開催する。