五穀の収穫を祝う「新嘗祭(にいなめさい)」が11月23日、伊勢神宮外宮(げくう)と内宮(ないくう)であり、池田厚子神宮祭主はじめ鷹司尚武大宮司や高城治延少宮司ら参列の中、祭典が執り行われた。神宮の別宮・摂社・末社の125社で、29日まで続く。
その年の新穀を天照大神に捧げる神嘗祭(かんなめさい)は、10月15日~25日までの期間で執り行われ伊勢神宮の最も重要な祭りとされる。「神領民(しんりょうみん)」と言われる神宮に関わる伊勢の人々は、かつては神嘗祭が終わるまでは新米を口にしないと言われていた。
一方、神嘗祭から約1カ月過ぎの新嘗祭は、天皇陛下がその年の収穫に感謝する祭りで、宮中祭祀(さいし)の中で最も重要とされる。日本国内に新穀が行き届き、国民一人ひとりが新米を口にしたころ、一番最後に陛下ご自身が召し上がる儀式とも言われている。皇居での新嘗祭は陛下自ら、18時からの「夕(よい)の儀」と23時からの「暁の儀」をそれぞれ2時間ずつ執り行うが、今回はご病気で入院中だったため、陛下ご不在の中で執り行われた。
伊勢神宮内宮では、神饌を神さまにお供えする「大御饌の儀」があり、その後天皇陛下より贈られた幣帛(へいはく)を奉献する「奉幣の儀」が行われた。神官が列を作り歩く参進を参道から見学する参拝者らは、粛々と執り行われる祭典をただただ静かに見守っていた。
神嘗祭・新嘗祭は、明治・大正・昭和初期には国の祭日として制定され休日だったが、1948年7月20日に公布、即日施行の「国民の祝日に関する法律」において、神嘗祭は祭日から外され、新嘗祭は「勤労感謝の日」と名前を変え祝日になった。
「日本は、米国よりもコメを尊ぶ米の国、瑞穂の国」と話すのは伊勢市出身の初老の男性。「日本のすべての営みは、稲作に通じている」とも。男性のスーツ姿の胸には遷宮のシンボルマークを型取ったピンバッジが輝いていた。