志摩地方に伝わる郷土寿司の「手こね寿司」が雑誌などで全国の「郷土寿司」と並んで取り上げられ話題になっている。
「手こね寿司」は志摩市志摩町和具地方で伝わった郷土寿司で、もともとカツオ釣り船の船上で漁師たちがまかない飯として食べていたのが始まりと伝えられている。言い伝えでは、忙しく慌ただしい漁の合い間に、漁師が船上で少しでも早く食事をとれるように、釣ったカツオを刺身にし醤油につけ込んで食べていた。それでも勝気な志摩の漁師は面倒になりご飯の中へ混ぜて、手でこねたものが起源とされている。
火付け役は、常に全国を「すし行脚」し郷土寿司の情報収集をしているという名古屋経済大学短期大学部の日比野光敏助教授。「すしの歴史を訪ねる」(岩波新書)、「すしの辞典」(東京堂出版)などの著書もある日比野教授は「志摩地方は古来万葉の時代から食物を朝廷に献上する歴史があった。『手こね寿司』も新鮮な魚介類が豊富に獲れる漁師町ならではの食文化の一つで、全国の中でも洗練された『郷土寿司』のひとつ。自立した地方の活躍が目立つようになった現代では、『郷土寿司』が注目されるのも必然では」と話している。
最近では、「いきいき」(4月号)、「旅の手帖」(1月号)、「旅行読売」(昨年6月号)などの雑誌で全国の「郷土寿司」が取り上げられ、そうした特集の中でも「手こね寿司」は大きく取り上げられている。
同町女将の会「志摩いそぶえ会」の伊藤泰子会長は「多くの取材で『手こね寿司』が大きく取り上げられてうれしく思う。『手こね寿司』が注目されることで先人たちの叡智が詰まった効率的で機能的な『郷土寿司』を再考し、郷土の食文化をさらに豊かに、次代に引き継ぐことができれば」と話している。同会では2005年から郷土の食文化を調査していたところ「おんこ寿司」という郷土寿司があったことを発見し、復活させたことでも話題を集めた。