日本のプロ野球界に2人の名投手「沢村栄治」「西村幸生」を生んだ伊勢市で3月10日、伝統の「読売ジャイアンツ」対「阪神タイガース」のオープン戦が開催される。当日の試合は、全面改修し新しくなった倉田山公園野球場(伊勢市楠部町)の「こけら落とし」となる。
伊勢が生んだ2人の名投手「沢村栄治」「西村幸生」仲良く、胸像移設
今年球団創立80周年を迎えるジャイアンツと、来年80周年を迎えるタイガースの2球団による「伝統の巨人阪神戦80周年企画」として実現。この日は両チームの監督、コーチ、選手が、ジャイアンツは沢村投手と同じ背番号「14」(永久欠番)、タイガースは西村投手と同じ背番号「19」を付けてプレーする。
試合前には、これまで離れ離れて建てられていた両選手の胸像を仲良く隣り合わせに移設した記念式典と、同球場のリニューアルオープンを記念した式典が行われた。
移設記念式典では、沢村選手の長女・酒井美緒さん、西村選手の長女・津野田ジョイス幸子さんも駆け付け、読売巨人軍代表の桃井恒和さん、阪神タイガース専務四藤慶一郎さん、三重県知事鈴木英敬さん、伊勢市長鈴木健一さんが除幕式に参加した。
沢村・西村両家を代表して津野田さんが「2人の名投手を輩出した伊勢市は、日本のプロ野球のふるさと。2人は第2次世界大戦で命を落とした。615人の野球選手の犠牲の上に、今のプロ野球があることを認識し、戦争の犠牲者となった選手たちの栄誉をたたえてほしい」とあいさつした。
沢村選手は1917(大正6)年、伊勢市(旧宇治山田市)岩渕町生まれ。明倫小学校で野球を始め京都商業学校野球部で活躍し読売ジャイアンツ(旧巨人軍日本職業野球団)に入団。3度目の出兵で1944(昭和19)年に戦死した。ノーヒットノーラン3回、野球殿堂入り、背番号「14」は永久欠番。西村選手は1910(明治43)年、伊勢市大世古町生まれ。厚生小学校から宇治山田中学、関西大学を経て1937(昭和12)年に阪神タイガースに入団。1945(昭和20)年戦死。野球殿堂入り、背番号「19」。
2人の名投手の胸像脇には、2人の背番号「14」と「19」と「一球入魂」の文字が刻まれた石碑が設置された。