真珠の養殖に成功し、「ミキモト」ブランドを確立し、世界中の人から真珠王(パールキング)と賞賛されたミキモトの創始者=御木本幸吉(みきもとこうきち)を陰で支えた妻「うめ」の墓がある朝熊岳金剛證寺(伊勢市朝熊町)奥の院境内に、一足早く梅の花が咲いた。
早咲きの梅の花は昨年完成した庫裡(くり)の前、御木本幸吉の妻「うめ」の墓と同じ境内にある。
うめは1881(明治14)年、17歳の時23歳の幸吉と結婚。幸吉が真珠養殖事業を着手する中、5人の子どもを育て、家業のうどん店を切り盛りした。1893(明治26)年7月、赤潮の被害を受けアコヤ貝がほぼ全滅し、落ち込む幸吉と励まし合いながら1個1個死んだ貝を確認し、その中から5つの半円真珠を見つけたのはうめ。1896(明治29)年1月27日、半円真珠の特許を取得し、ようやく事業化のめどがつき、これから――という同年4月、32歳の若さで死亡した。
奥の院・呑海院(どんかいいん)は塔婆(とうば)供養を行う場。富士山も見える絶景地であることから富士見台としても参拝客を楽しませ、一休禅師の句碑「海を呑む 茶の子の餅か 不二の雪」が立つ。
同寺では1月1日~21日、新年の安寧(あんねい)を願って、星回りを見て祈とうする「星祭(ほしまつり)」が毎日開催されている。問い合わせは同寺(TEL 0596-22-1710)まで。
早咲きの梅は、昨年12月に完成した庫裡(くり)の前、御木本幸吉の妻「うめ」の墓と同じ境内にある。