不思議な力でできたアマテラスに仕えた「斎王さま」テーマの踊り、伊勢神宮に奉納

伊勢神宮内宮にある能舞台で舞踊を披露。「斎宮の舞保存会」発会。

伊勢神宮内宮にある能舞台で舞踊を披露。「斎宮の舞保存会」発会。

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 「斎王さまのお導きのように偶然が重なり、『斎宮(いつき)の舞』が完成した。不思議だがそう思わざるを得ないほど奇跡の連続だった。曲を初めて聞いたときに後世に残さなければいけないと直感した」と当時を振り返るのは、当時明和音頭保存会会長を務めていた田端進さん。

伊勢神宮内宮にある能舞台で舞踊を披露

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 「斎宮の舞」を後世に伝えようと5月15日、「斎宮の舞保存会」(会長=橋本久雄さん、多気郡明和町斎宮)が発会。翌16日には、「斎宮の舞」の振り付けを担当した伊勢市出身・日本舞踊勝美流家元の勝美伊三次(かつみいさじ)さんらにより、伊勢神宮奉納演舞(3曲のうち1曲)として「斎宮の舞」を奉納した。

 「斎宮の舞」は1992年、明和町「斎王まつり」のテーマ曲として、地元出身で音楽家の長岡成貢さんが作った「組曲 斎宮(いつきのみや)物語」の一部。第三楽章「斎王(いつき)の舞・慶び」を歌詞と踊りをつけて後世に残る舞踊として完成させたもの。作詞は明和音頭保存会の尾上たづ枝さん。演奏には横笛を西原貴子さん、笙(しょう)、篳篥(しちりき)を西原祐二さん、小鼓・大鼓・締太鼓を仙堂新太郎さんが務めた。

 田端さんは、「斎宮の舞」完成のいくつかの偶然を告白する。「1986(昭和61)年から曲を作ろうと機運が盛り上がりいくつかの詩ができたが、オリジナル曲は完成していなかった。自分が明和音頭保存会の会長に就任した年に、『それなら曲を完成させよう――』と友人の息子に当たる長岡さんに曲作りを依頼した。それまで長岡さんがどういった曲を書いているかもわからなかったが、とにかく会ってみようと東京まで行った。その日長岡さんの音楽スタジオに行き、聞かされた曲が雅楽をミックスしたシンセサイザーの音楽で聞いた瞬間に『これだ』と思った。長岡さんは偶然そのタイミングで雅楽をミックスさせた音楽の創作をしていた」

 次に「曲が完成し、踊りの振り付けを誰に依頼すればいいか思案して斎宮歴史博物館(同町竹川)の当時の館長久保富美子さんに相談した。数日後偶然、勝美さんが創作舞踊『斎王』の製作のため同館を訪ねた。久保さんがそのことを田端さんに告げ、勝美さんに踊りの振り付けを依頼した(創作舞踊「斎王」は1992年10月に国立小劇場で初演)」

 さらに「偶然、明和町を訪れた群馬大学大学院医学系研究科でヒト免疫不全ウイルス(エイズウイルス)を20年以上研究する講師医学博士の清水宣明さんが、『斎宮の舞』を見て後世に伝えなければいけないと直感で感じ、多くの人に伝えてくれた。清水さんの出会いが保存会発会のきっかけになり、あきらめていた自分の気持ちを奮い立たせてくれた」と話す。

 長岡さんは「古代、伊勢アマテラスに仕えた歴代天皇の皇女、歴代斎王を称える曲として作らせていただいた。僕が死んだ後も伊勢の地にずっと残されていく『斎王の舞』。こうして『文化財』の製作に携われたことは、誇りと喜びでいっぱい」とコメントを寄せる。

 田端さんは「斎宮の舞保存会ができ、ようやく肩の荷が下りた(笑)。これから100年、200年と継承されていくだろう。斎宮の舞はそれに値する奇跡の舞」と締めくくる。

 斎王とは、天皇の代わりに伊勢神宮の天照大神に仕えた、天皇の娘や姉妹などの中から選ばれた未婚女性のことで、都から遠く離れた斎宮で暮らした。飛鳥・奈良時代から約660年、鎌倉時代のころまで制度として行われた。60人以上存在したと言われている斎王のなかには、2~3歳で選ばれた人や、結婚を考えていたのに結婚できなかった人、神に仕える身ゆえに恋をすることも許されない、はかない悲恋物語をもつ斎王もいたという。

 6月5日・6日には明和町で「第28回斎王まつり」が開催される。

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