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伊勢市出身の名投手・沢村栄治の生涯をタレントの山田雅人さんが地元伊勢で語る

伊勢市出身の名投手・沢村栄治の生涯をタレントの山田雅人さんが地元伊勢で語る

伊勢市出身の名投手・沢村栄治の生涯をタレントの山田雅人さんが地元伊勢で語る

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 伊勢市(旧宇治山田市岩渕町)出身の伝説の名投手・沢村栄治の生涯をタレントの山田雅人さんが独自の話芸で語る舞台が7月30日、伊勢市生涯学習センター「いせトピア」(伊勢市黒瀬町)で開催された。平成23年度の第1回いせトピア公開講座、共催=澤村榮治顕彰会。

沢村栄治投手の墓の前で報告する山田雅人さん

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 山田さんは29日伊勢市に到着後すぐ、「G」と彫られたボール型の沢村投手の墓の前に立ち、神妙に手を合わせた。その数時間後夏の甲子園(第93回全国高校野球選手権)三重県代表校に伊勢工業高校(伊勢市神久)が23年ぶり2回目の出場を決めた。沢村投手の生まれ育ったまちが喜びに満ちあふれ、山田さんは「天国の沢村栄治さんもきっと喜んでいる」とつぶやいた。

 沢村栄治(1917年2月1日~1944年12月2日)は、明倫小学校から野球を始め、京都商業学校(現・京都学園高校)へ。同郷の山口千万石(せんまんごく)捕手とバッテリーを組み京都商業時代の1933年春と1934年春・夏の高校野球全国大会に出場、甲子園のマウンドを踏んだ。1934年日米野球の全日本チームに出場し、ベーブ・ルースなどクリーンナップを4者連続三振に取る。1936年にプロ野球(職業野球)リーグが誕生すると東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)の選手として活躍。プロ野球通算63勝22敗、防御率1.74、ノーヒットノーラン3回達成。1944年12月2日出兵し、乗船していた船が撃沈され戦死。享年27。巨人は没後1947年7月9日、沢村の功績をたたえ背番号14番を永久欠番にし「沢村栄治賞(沢村賞)」(今のプロ野球年間最優秀投手に贈る賞)を設立。1959年野球殿堂入り。

 山田さんは、人気連続テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)の「おかくら」で働く調理人「勉(べん)」役で出演。その時脚本の書き方を学び「かたり」を創作。その初めての作品が「沢村栄治」だという。その後独自の話芸でブラッシュアップさせ、戦火に散ったプロ野球選手の生涯などを全国各地で伝えている。

 同舞台の開催は、沢村と同郷で1957年巨人に入団し投手として活躍した中村稔選手の実妹の西村則子さんが、NHKラジオで山田さんの「沢村栄治物語のかたり」を聞き、「是非伊勢の人に直接聞かせたい」と思い連絡を取ったのが始まり。山田さんは舞台前のあいさつで「いつ伊勢に呼んでもらえるかずっと待っていた。ようやく故郷で語ることができ感無量。昨日墓石に手を合わせた時『お前がやってくれるんか?』と沢村さんと会話をしたようだった」と話した。「かたり」では沢村投手と山口捕手とのやりとりを事実に基づき脚色、会場は笑いと涙で包まれた。

 「夢を見ることさえ禁じられていた時代に、限られた時間にもかかわらず夢を実現させた沢村投手の功績を多くの人に伝えたい」と山田さん。「かたり」のエンディングでは、「子どもたちが安心して野球ができるように見守っていこう」と天国で沢村投手と山口捕手の会話を演出し締めくくった。

 同日、背番号「14」を彫った野球ボールをデザインした記念碑が沢村栄治の生家跡地に建てられた。

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