南伊勢町の「河村瑞賢(ずいけん)公園」(南伊勢町東宮)のアジサイが現在、満開を迎えている。
1990年6月にふるさと創生基金を活用し整備された同園。園の中央に大坂・淀川の治水工事のために現場で指揮を執る瑞賢の自信に満ちた力強い姿を表現した銅像が立つ。銅像は、酒田市出身の彫刻家・高橋剛さん(1921~1991)作によるもの。
アジサイは公園が整備された後、同地区の人たちが1000本以上を植樹したものだが、近年シカに食べられ獣害被害を受け半分以下になってしまったが、残った花が力強く咲いている。
瑞賢は1618年2月15日、南伊勢町東宮(旧伊勢度会郡東宮村)で生まれ、13歳で江戸に出た。54歳の時に幕府に認められ、東北地方で作られた米を江戸に運ぶための航路開拓の命を任され、1671年に阿武隈川周辺(福島)で作られた米を荒浜(宮城県仙台市)から房総半島を回り、下田または三崎に入り、風待ちをし直接船で江戸港まで運ぶ「東回り航路」を、その翌年の1672年に今度は最上川周辺(山形)で作られた米を酒田港(酒田市)から日本海、下関を通り瀬戸内海に入り大坂へ、そして紀伊半島、太平洋から黒潮に乗って江戸へ向かう「西回り航路」を整備。さらに66歳の時、安治川、堂島川、曽根崎川、淀川や、中津川などの治水工事請負整備、72歳には新潟県魚沼市の銀鉱山・上田銀山、白峯銀山の経営を任され鉱山開発にも携わった。新井白石とも交流があり、白石の著「奥羽海運記」「畿内治河記(きないちかき)」には瑞賢の功績が記されている。1699年6月16日没。
「東回り航路」「西回り航路」の開発は、当時1年以上かかっていたルートを3~5カ月間に短縮し、江戸時代の物流に革命を起こした。また洪水などの被害で多数の死者を出していた河川を改修し、被害を抑え、周辺を肥沃(ひよく)な土地に代え住民を幸せにした。今の東京や大阪が発展し、あるのは国家プロジェクトともいえるこの2つの航路、治水工事がもたらした結果ともいえる。