「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれた尾崎行雄(雅号=咢堂(がくどう))の胸像が伊勢市観光文化会館(伊勢市岩渕)前に建てられ6月28日、記念式典と除幕式が行われた。
尾崎行雄は1858年、神奈川県相模原市津久井町(旧相模国津久井県又野村)で生まれ、1872年からの約2年間の少年時代を伊勢市(旧度会県山田)で過ごした。1890年(明治23年)第1回総選挙で三重県選挙区から出馬し33歳で初当選。以後63年間、連続25回当選の記録を作る。1898年大隈重信内閣で40歳の若さで文部大臣に就任。1903年~1912年には東京市長を務めた。1954年(昭和29年)10月、96歳で死去。生涯を「世界連邦」建設を提唱し、「世界平和」確立のために活動した。
胸像は、尾崎の理念と功績を広く後世に伝えようと、尾崎を顕彰するNPO法人「咢堂香風(がくどうこうふう)」の関係者らが発起人となり「尾崎咢堂像を実現する会」(発起人代表=広瀬寿さん)を発足し、105の法人・団体と180人の個人から建立に掛かる費用500万円を集めた。
胸像は、銅製で高さ70センチ、幅75センチ。高さ1.3メートルの台座に据えられ、大正期の尾崎の姿を形にした。台座には、元咢堂香風会長の土井孝子さんが100回以上練習したという「尾崎咢堂像」の文字と、尾崎本人が94歳の時に書いた「人生の本舞台は常に将来にあり」の句が正面に、その横には尾崎の略歴・年譜と寄付者の名前が刻まれている。
式典には、石垣英一副知事や伊勢市の鈴木健一市長、同会会員ら約70人が出席。広瀬さんは「多くの人の協力を得て立派な胸像を建てることができた。伊勢市にも宇治山田駅前の最も目立つ場所を提供いただいた。感謝。多くの人に尾崎咢堂のことを知ってもらいたい」とあいさつした。
一昨年、東京市長時代に米国ワシントン・ポトマック河畔にサクラの苗木3000本を贈ってからちょうど100周年を迎え、米国国務省、日米交流財団などによる「友好の木-ハナミズキ イニシアチブ」が発足、その返礼として米国から日本にハナミズキ3000本が贈られ、その内の32本を伊勢市内に植樹、その1本が同像の横に植えられた。