志摩市の海岸近くにある7世紀初頭に造られたと思われる古墳が、海蝕(かいしょく)による影響で崖が崩れ、古墳の一部はすでに壊れ崩壊寸前となっている。
聖徳太子が十七条憲法を制定したころに造られ、かつて伊勢志摩地方を治めていた権力者を埋葬したであろう同古墳は、同市阿児町の海辺の集落・志島(しじま)地区に点在する古墳群の中の一つの塚穴古墳(4号墳)で、直径約20メートルの円墳。奥行き7.7メートル、天井の高さ2.4メートル、幅2.2メートルの大きさの石を積み上げた大きな石室を持つ。
古墳の盛り土をした最も高い位置からの海抜は約18メートル、海岸から古墳までは約5メートルで、すでに円墳の一部が崩れた状態となっている。県の有識者は「あと50年~100年以内には全て崩壊するだろう」と予測。
志摩市教育委員会事務局の生涯学習スポーツ課の三好元樹さんは「志島自治会の皆さんから『このままいくと古墳が崩壊するかもしれない。海蝕を食い止める措置をしてほしい』と要望があったが、現状では護岸整備には数億円の費用が掛かり、予算化することは困難。そこで、(現状できることとして、自治会の承認を得て)崩れる前に発掘調査をしておこうということになった」と説明する。
同市は国の文化財関係国庫補助事業と県の活かそう守ろう三重の文化財事業などの補助金も活用しながら、2012年から調査を開始(2012年度=約175万円、2013年度=約250万円、2014年度=約130万円)。昨年は石室内部を掘り起こした結果、埋葬されたであろう人の骨やメノウなどで作られた勾玉(まがたま)5点や金メッキを施した装飾品、須恵器など数百点を掘り出した。調査最終年度となる今年は、石室の構造を調べるため石室の周囲3カ所の土を掘る「断ち割り調査」を行った。
三好さんは「断ち割り調査の結果、石室の内部は断面を整えて石を積み上げているが裏側は石をそのまま加工せず使っているため凹凸が目立ち、その隙間に粘土質の土を入れて強度を補強していることや、石室を作るためにどれだけ土を掘り進めたかなどの情報が得られた」と話す。「これほど大きな石室を持った古墳は珍しいので、崩れてしまうのは大変惜しい」と言葉を詰まらせる。
その大きさ、出土品の豪華さなどから権力の大きさの象徴を表しているといわれる古墳。当時の生活環境から推測すると、海のそばに建てられたこの古墳は、(船など海路での行き来が盛んで)最も目立つ場所だったのだろう。
同市では今回の発掘調査成果を広く知ってもらうため、現地説明会を11月24日に開く。開催時間は10時~(小雨決行)。