6月21日の20時ごろ、伊勢神宮内宮(ないくう)宇治橋前大鳥居の真ん中にまばゆい光を放つ月が現れた。
【その他の画像】夏至の日に伊勢神宮内宮宇治橋前大鳥居な真ん中に月
伊勢には誰にも説明できない謎がある。夏至の日に「伊勢神宮宇治橋前大鳥居の中央から月」が、「二見興玉神社夫婦岩の中央から太陽」が、冬至にはその逆「伊勢神宮宇治橋前大鳥居の中央から太陽」が、「二見興玉神社夫婦岩の中央から月」が現れる。
今年の夏至は6月21日。二見興玉神社(伊勢市二見町)では夫婦岩(めおといわ)の前の海でみそぎをする夏至祭が大雨の中執り行われた。晴れて条件が揃っていれば夫婦岩の大しめ縄の真ん中に富士山と朝日が重なって見えたはずだった。昨年は、全ての条件が揃い富士山と朝日が重なり、みそぎに参加した人たちからは歓声が上がっていた。
大雨だった朝から一転、昼には晴れ上がり青空が広がった夏至の日。その夜20時ごろ、大鳥居の真ん中に月を入れて撮影しようと6人のカメラマンが宇治橋前で陣取っていた。この日の月齢16、立待月、月の出時刻は19時37分。月の出すぐの時間では五十鈴川の下流側から月が出るため正面にはならないが宇治橋の先に島路山があるため、月が鳥居の真ん中に入る時間は島路山から月が出るちょうど20時過ぎだ。月が現れるとカメラマンは鳥居の真ん中に月を入れようとお互い譲り合い次から次に移動しながら撮影に没頭していた。
「歩く伊勢神宮」と呼ばれる伊勢神宮神職で神宮の研究を続ける音羽悟さんは、著書「悠久の森 神宮の祭祀と歴史」(弘文堂)の第1章「千古の流れ」で宇治橋の歴史について詳しく説明している。
「夏至と冬至の太陽と月・宇治橋と夫婦岩」の関係を音羽さんに聞くと「確かに興味深いこと。史実は不明だが、京の暦学者の加茂家との繋がりは深かったし、古い時代の神宮関係者には天文学に長けた人もいたでしょう。太陰暦とはいえ、元嘉暦(げんかれき)や儀鳳暦(ぎほうれき)に変わっていっても対応出来たでしょうし、経験値として冬至や夏至の時の太陽・月の位置を割り出すことは難しいことではなかったでしょう。実際には謎のままだが、1343(永享6)年に本格的な宇治橋が初めて架かるがその時、太陽や月への信仰上、起算した場所に橋を渡したとするならとてもロマンがある。夢があっていいじゃないか(笑)」と話す。