「ミキモト多徳養殖場」(志摩市浜島町大崎半島)にある御木本幸吉(1858~1954年)の生家だった「真寿閣(しんじゅかく)」や天皇陛下、皇族を招いた「朝熊閣(あさまかく)」などが9月19日~21日、初めて一般公開された。公募で選ばれた100人の参加者は志摩市内27人、三重県内66人、県外からは埼玉、東京、愛知、大阪からの7人。
1907年に真円真珠の養殖技術に関する特許が取得されて今年で100年目になることを記念して志摩市と志摩市観光協会が企画、ミキモト(東京都中央区)と御木本真珠島(鳥羽市鳥羽)の協力を得て実現した。晩年を過ごした「真寿閣」には幸吉のプライベートな部分が多く残るほか、建物の管理面からも一般公開されたことがなかった。
1893年幸吉は、英虞湾に浮かぶ多徳島に真珠養殖場を開設。その後、1919年「多徳島」に対して新たに「新多徳」と名付けた大崎半島に真珠養殖の拠点を移転した。「真寿閣」は1949年に多徳島から現在地に、「朝熊閣」は1913年に伊勢市の朝熊山に別荘として建てられたものを戦後に、それぞれ移築したもので、木造平屋建てで、英虞湾を臨む高台に景観を損ねることなく建てられている。そのほか、1916年に多徳島に開局された郵便局(初代局長は幸吉)も1931年に移築され残されている。幸吉が毎日国際情勢などの情報を得ていたラジオや「わしは毎日地球を3回回っている」と周囲の人を煙に巻いた地球儀などがそのまま残されていた。
案内を務めた御木本真珠島監査役の山村惇さんは「当時『真寿閣』は従業員の作業が確認できるように『司令塔』としての役割も果たしていたと聞いている。また実際に1981年6月30日まで機能していた郵便局での金融取引額は真珠販売が順調になるころには三重県一だった」と説明する。参加者は「真寿閣」「朝熊閣」の質素ながらも真珠にこだわりデザインされた欄間や瓦などを興味深く見学し、「真珠王の美意識」に感心していた。
愛知県から参加した建築家の森谷高広さんは「古民家の移築・保存などの仕事をしていることから『真寿閣』『朝熊閣』の建物には関心があった。夏にも涼しく風が吹きぬけるように設計されているなど、当時の移築作業に関わった職人がこの地の風土、気候、景観など熟知していたことを感じた。美しいものをつくるには美しい環境が必要であること。建物に『情感』を感じそう思った」と感想を残した。
最終日の21日は御木本幸吉53回目の命日にあたる。