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河村瑞賢生誕400年記念 出身地の南伊勢町で記念式典や豪商サミット

河村瑞賢生誕400年記念(写真は寺田さんらが「東回り航路」「西回り航路」をヨットで辿って日本一周した時のもの)

河村瑞賢生誕400年記念(写真は寺田さんらが「東回り航路」「西回り航路」をヨットで辿って日本一周した時のもの)

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 度会郡南伊勢町(旧南島町東宮)出身の河村瑞賢の生誕400年を記念した式典が2月4日、同町のふれあいセンターなんとう(同村山)で行われた。

【その他の画像】河村瑞賢が開拓した「東回り航路」「西回り航路」をヨットで

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 瑞賢は1618(元和4)年2月生まれ。13歳で江戸に出た瑞賢は、1657(明暦3)年の江戸大火に際して、木曽の山林を買い占め莫大(ばくだい)な資産を築いた。その大火後、米不足で奥羽地方の米移入を計画する幕府の命を受け1670(寛文10)年冬、阿武隈川河口の荒浜(現宮城県)から房総半島に向かい、相模の三崎か伊豆の下田に行き、西南風を待って江戸湾に入るルート「東回り航路」を開拓。従来よりも輸送日数・費用を大幅に削減させた。1672(寛文12)年には、出羽の産米輸送に関して出羽の酒田から日本海を回って下関・瀬戸内海・紀州沖・遠州灘・下田を経て江戸に入るルート「西回り航路」を改良。途中の寄港地を定め、入港税免除や開港の水先案内船の設置、暗礁が多い志摩沖には菅島の山の中腹に毎夜かがり火をあげ、船に位置を知らせるようにした。そのほか、淀川河口をはじめ、越後の高田藩の中江用水や鉱山開発の指導など土木工事を成功させ、今日の海運航路、治水工事の基礎を築いた。1699年没。

 同式典では小山巧南伊勢町長があいさつ。昨年ヨットで「東回り航路」「西回り航路」を巡った寺田順さんに感謝状を贈呈。山形県酒田市からのビデオレターも紹介した。酒田市では、寺田さんが小山町長から預かった信書を丸山至酒田市長に手渡した。

 その後、瑞賢の功績を描いた小説「江戸を造った男」を執筆した小説家、伊東潤さんの講演会が行われた。続いて同町商工会設立10周年記念として、伊東さんやキリンビール東海支社長で同町出身の山本泰仁さん、三重外湾漁協の浅井利一組合長による「豪商サミット パネルディスカッション」が行われた。

 南島中学校3年の上村駿介さんは「河村瑞賢の出身である南伊勢町に誇りを持てるようになった。瑞賢のようにふるさと南伊勢町に貢献できる人になりたい」と話す。

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