7月30日に行われた東京オリンピック・フェンシング男子エペ団体戦の決勝で、鳥羽市出身の山田優(まさる)選手が出場した日本代表チームが、ROC(ロシアオリンピック委員会)を破り、日本初の金メダルを獲得した。
【その他の画像】鳥羽市役所で山田優選手を応援する中村欣一郎鳥羽市長
安楽島(あらしま)小学校、鳥羽東中学校、鳥羽高校と鳥羽市で高校までを過ごした山田選手は、小学2年からフェンシングを始めた。その後日本大学に進み、現在自衛隊に所属する27歳。7月25日に行われた男子エペ個人では準々決勝でイタリアのアンドレア・サンタレッリ選手に敗れ惜しくも6位に。
山田選手は、愛知県あま市出身、JAL所属・23歳の加納虹輝(かのうこうき)、香川県高松市出身の三菱電機所属・29歳の宇山賢(うやまさとる)、福井県越前市出身・ネクサス所属・34歳の見延和靖(みのべかずやす)とチームを組み1回戦から決勝戦まで全試合に出場した。
幕張メッセ(千葉県)で行われた決勝戦。山田選手は1番手で出場、セルゲイ・ビダ選手に先制し5対4、4試合目にニキータ・グラジュコフ選手を4対3で競り勝ち、8試合目のパベル・スホフ選手には3対4で惜敗したが、チームとしては45対36で勝利した。
同チームは、1回戦で米国に8点差からの大逆転45対39、準々決勝では世界ランク1位で五輪3連覇のフランスを45対44で逆転勝利、準決勝で韓国に45対38で競り勝った。
鳥羽市役所でテレビ越しに山田選手を応援していた中村欣一郎鳥羽市長は「優勝した瞬間、鳥肌がたった。オリンピックに出場するだけでも十分なのに、個人で6位、そして日本に初の金メダルをもたらすという快挙を成し遂げた山田選手は素晴らしい。小さくても輝く鳥羽市から、世界に羽ばたき光を放った山田選手に敬意を表したい。山田選手の元気をまちの元気に変えていきたい」と話す。
フェンシングは、1896年第1回アテネ大会でフルーレとサーブル、1900年第2回パリ大会からエペが採用されている。剣先を決められた有効面に当てる競技(フルーレ=胴体のみ、サーブル=上半身のみ、エペ=全身)。日本は1960年ローマ大会から出場。太田雄貴選手が2008年北京大会で男子フルーレ個人で銀メダル、2012年ロンドン大会で男子フルーレ団体で銀メダルを獲得。