志摩市内にある伊勢神宮125社の一つである別宮「伊雑宮(いざわのみや)」(志摩市磯部町)で6月24日、御田植祭「伊雑宮御田植式」が行われた。
白い衣装に赤いたすきがけの早乙女(さおとめ)と田道人(たちど)が苗場を3周半回って苗を取る。「竹取神事」が始まると裸男たちが水田に入り、「太一」と書かれた大きなうちわの忌竹(いみだけ)を回した。続いて赤い衣装を着た倭姫命(やまとひめのみこと)に扮(ふん)した太鼓打ちが田舟に乗り田楽を奏で、早乙女らが一苗ずつ丁寧に田植えを行った。
コロナ禍で2020年は中止、2021年・2022年は一般人を入れず祭りを再興縮小。「竹取神事」は、2021年は行わず、2022年は小さくしたうちわで水田の中をぐるぐる回るだけにとどめるなど対応しながらコロナ禍を乗り越えた。昨年から今まで通りの祭りに戻り、「竹取神事」での今年の裸男たちは昨年以上に泥だらけになりながら元気に水田の中を動き回った。
香取神宮(千葉県香取市)と住吉大社(大阪市住吉区)の御田植祭と共に日本三大御田植祭の一つされる同祭は、「磯部の御神田(おみた)」として国の重要無形民俗文化財の指定を受ける。第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢神宮に納める神饌(しんせん)を探し求めて志摩を訪れた時、昼夜鳴く一羽の白真名鶴が稲穂をくわえていた「白真名鶴伝説」「鶴の穂落とし伝説」に由来するとされ、平安時代末期か鎌倉時代初期から続く。
伊勢神宮広報室次長で神宮参事の音羽悟さんは「文献をさかのぼることができないが、昔はじかまきだったと思うが、恐らく『伊雑宮御田植式』は、伊勢の楠部町の神宮神田で行う『神田御田植初(しんでんおたうえはじめ)』よりも歴史は古いと思われる。これから先もいつまでも絶えることなく祭りが続くことを願う」と話す。