伊勢神宮の外宮(げくう)、内宮(ないくう)、別宮、摂社、末社、所管社125社で10月15日から25日まで、五穀豊穣(ほうじょう)に感謝する「神嘗祭(かんなめさい)」が執り行われている。
外宮では15日22時からの「由貴夕大御饌祭(ゆきのゆうべのおおみけさい)」、16日2時からの「由貴朝大御饌祭(ゆきのあしたのおおみけさい)」が、内宮では16日の22時からと17日2時から同様の祭典がそれぞれ、黒田清子神宮祭主、久邇朝尊(くにあさたか)大宮司ら神職によって奉仕された。16日12時から外宮で、17時12時から内宮でそれぞれ、皇室から勅使が遣わされ、天皇陛下からの幣帛(へいはく)が奉納される「奉幣(ほうへい)」が執り行われた。
両宮の内玉垣には、全国の稲作農家から奉納された初穂の稲束「懸税(かけちから)」がかけられ、内玉垣御門の右側には天皇陛下が皇居内の水田で育てた初穂が根付きのまま大きな紙垂(しで)が付けられてかけられる。その手前には籾(もみ)俵と「カケチカラ会」と書かれた白い布袋が積み上げられる。
一方、伊勢市内では全国から集まった初穂を伊勢神宮に奉納する初穂曳(ひ)きが、15日には初穂や米俵を載せた木製の台車「奉曳車(ほうえいしゃ)」を2本の白い綱で外宮まで引く「陸曳(おかびき)」が、16日には初穂や米俵をそりに載せ五十鈴川を内宮まで引く「川曳(かわびき)」が行われた。
明治の初めまでは旧暦の9月17日に合わせ月明かりに照らされながら行っていたという神嘗祭。伊勢では「神嘗正月」「神宮の正月」とも呼ばれ、もともとは日本国中に新穀が出そろう「太陰暦」(月の満ち欠けを元にした旧暦)の9月17日を神嘗祭と定め、祭日として全国民が祝っていた。
17日の満月前の、15日、16日の深夜の月もとても明るく、月光によって照らされた神宮の森では、雅楽の調べが響き、いにしえの神嘗祭と同じ月明かりの下、粛々と祭典が執り行われた。