第62回式年遷宮が来年に迫り、内宮と外宮の正殿の造営作業が着々と進行している。外宮正殿の「上棟祭」が3月26日の内宮正殿に続き28日、現在立つ正殿の西側(向かって左側)の「新御敷地(しんみしきち)」で執り行われた。
上棟祭とは、一般的に「棟上げ」「棟上げ式」と同じ趣旨で、屋根の一番高いところの棟木を組み終わる時に「棟や梁(はり)が緩まないように、動かないように」と祈願する祭典のこと。
この日は、池田厚子神宮祭主をはじめ、神社本庁統理・遷宮委員会の北白川道久委員長ら約200人の参列者が見守る中、純白の「斎服」を着けた神職と、紺色の「素襖烏帽子(すおうえぼし)」を着けた忌鍛冶(いみかじ)、小工(こだくみ)と言われる宮大工ら79人が奉仕した。
棟木から延びた2本の白い布綱の端を「瑞垣(みずがき)御門」の地点に立てた2本の「博士木(はかせぎ)」と呼ぶ杭に結びつけ、西側の布綱を大宮司以下神職が、東側を造営に関わる宮大工がそれぞれ両手に掛け一列に並び、技師2人が榊(さかき)を左右左に振り「おー」と唱えると、後ろの小工が「千歳棟(せんざいとう)」と唱え、それを受け屋上で小槌(こづち)を持って控える小工2人が「おー」と応じ棟木を力強く打つ。続いて「萬歳棟(まんざいとう)」「曳々棟(えいえいとう)」と繰り返し、計3回小槌を振り下ろす。最後に屋上の小工が西北に向かってそれぞれ3回餅をまく。内宮との違いは掛け声。内宮が「曳々億棟(えいえいおくとう)」と「億」が付くのに対して、外宮は「曳々棟」と「億」を省略している。内宮よりも控えめに――という配慮からだといわれている。
同祭に奉仕した小工の中村英毅さんは「無事上棟祭を終えることができ、感謝と安堵(あんど)の思いでいっぱい。今日まで受け継がれてきた技術・技法を次の世代に伝えるためにも、さらに気を引き締めて造営作業に従事したい」と話す。