倭姫命(やまとひめのみこと)を祭る倭姫宮(伊勢市楠部町)で5月5日、春の例大祭が執り行われた。多くの参拝者を集め、いつもは静かな神域がにぎわった。
伊勢市民を中心に老若男女問わず多くの人が参拝に訪れ、祭典が始まる前から同宮正殿には長蛇の列ができていた。高城治延少宮司や鈴木健一伊勢市長らが参列する中、厳かな祭典が執り行われるとその後、舞女(まいひめ)たちによる神楽舞いがあった。
この日は、ピンクや赤のこいのぼりが参拝者に配られたほか、お神酒やぜんざいが振る舞われた。子どもたちは、こいのぼりを高く持ち上げ楽しそうにしていた。
第10代崇神天皇は、世の中の乱れ、疫病の流行を懸念し、宮中に祭られていた天照大神(あまてらすおおみかみ)と倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)を外に移すことを決めた。天照大神を祭る鎮座地を探すために崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が各地を探し歩いた。その後を引き継いだのが第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命。倭姫命は、天照大神の「御杖代(みつえしろ)」として再び同神を祭る鎮座地(今の伊勢神宮)を探すため全国を旅し、紀元前4年に同地にたどり着いた。2人の皇女が鎮座地と定めた場所を現在では「元伊勢」と呼んでいる。豊鍬入姫命は6カ所、倭姫命は15~20カ所を巡ったとされる。御杖代とは、神や天皇の杖代わりとなって奉仕する人をいう。
倭姫命は伊勢神宮鎮座後、神嘗祭(かんなめさい)をはじめ年中の祭りを定め、神田や神社の場所を選定するなど、さまざまなことを確立、伊勢神宮の基礎を作り大きな功績を残した。にもかかわらず、倭姫命を祭る宮は存在しなかった。1915(大正4)年から神宮司庁と宇治山田市(現在の伊勢市)が倭姫命を祭る宮の創立を請願し、1921(大正10)年の第42回帝国議会で、皇大神宮の別宮として創立が許可され、1923(同12)年11月5日に鎮座祭が執り行われた。倭姫宮は、125社ある伊勢神宮の中で最も新しい。
倭姫宮御杖代講奉賛会が主になり、毎年5月と11月の5日を春と秋の例大祭として開催。今年秋の例大祭がちょうど90年目に当たる。同会の山中隆雄会長は「今年はご鎮座90周年という記念すべき年。一人でも多くの人が倭姫宮に足を運んでいただければ」と話す。