平安時代から伝わるとされ、稲穂をくわえた鶴が穂を落とした「白真名鶴(しろまなづる)伝説」を基にする祭り「御田植祭(おみた・おたうえさい)」が6月24日、伊勢神宮内宮の別宮「伊雑宮(いぞうぐう・いざわのみや)」(志摩市磯部町)と同宮神田で執り行われた。
同祭は、香取神宮(千葉県香取市)と住吉大社(大阪市住吉区)の御田植祭とともに日本三大御田植祭の一つとされ、鎌倉時代に成立したとされる伊勢神宮の「神道五部書」の一つ「倭姫命世記」に書かれた、第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢神宮に納める神饌(しんせん)を探し求めて志摩を訪れたとき、昼夜鳴く一羽の白真名鶴が稲穂をくわえていた「白真名鶴伝説」「鶴の穂落とし伝説」に由来するとされる。祭りで歌われる躍り込み唄や数え唄の歌詞の中に由来の伝説が登場する。平安時代末期か鎌倉時代初期から始まったとされる。
祭りは、伊雑宮でおはらいを行うと、場所を神田に移し、田道人(たちど)と白い衣装に赤いたすきがけの早乙女(さおとめ)が苗場を3周半回って苗を取る。次に裸男たちが「太一」と書かれた大きなうちわのついた忌竹(いみだけ)を奪い合い泥だらけになりながら繰り広げる荒々しい「竹取神事」、赤い衣装を着て倭姫命に扮(ふん)した太鼓打ちが田舟に乗り田楽を奏でながら、白い衣装に赤いたすきがけの早乙女らが田植えを行う静かな「御田植神事」が執り行われた。
20年に一度社殿などを新しくする式年遷宮「遷御の儀」を昨年11月28日に執り行い、ヒノキの香りがまだ境内に漂う同宮での御田植祭は、今回が初めて。今年は恵利原区が当番で、祭りに参加する役人たちは1カ月以上前から毎日練習を重ねて当日に臨んだ。心配された天気だったが、当日は青空も出るほどの快晴となった。
同祭の総合プロデューサー兼監督兼振り付けなど、全ての祭りの総指揮を担当する「師匠」の役に昨年からなった谷崎豊さんは「何百年と受け継がれてきている『おみた』をこれからも永続的に続けていかなければいけない。いつまでもまちの人たちが誇りに思い祭りに参加できるように次世代にも継承していかなければならない。今日は滞り無く祭りを終えることができてホッとしている」と話す。