約5500ヘクタールの伊勢神宮の森の中に約20メートルの落差から水が流れる滝「大滝」に感謝する祭典「大滝祭」が7月18日、伊勢市今在家町高麗広(こうらいびろ)の住民たちによって行われた。
【その他の画像】伊勢神宮の森の中にある落差20メートルの大滝
同祭は昔、農作物が枯れる干ばつが起こった時、同地区の若者たちが大滝にすむという龍神を起こして雨を降らせようと竹で同滝の滝つぼを突いてこね回したところ、雨が降ったという言い伝えに由来する。毎年7月24日に行っていたものが近年、高齢化と若者減少により祝日の「海の日」に開催するようになった。
この日は、東京、長野、三重県内、市内から約20人が参加。早朝からわらで約13メートルのしめ縄を作り、同滝までの約1.5キロの山道の清掃作業を行った。伊勢神宮内宮(ないくう)を流れる五十鈴川(いすずがわ)の上流の支流沿いにある山道は、手付かずの自然のままで、参加者も時に手を止めてその景色に目を奪われていた。一般的に神宮林の中への入山は許可されておらず、同祭の祭りの参加者だけが入山を許されている。そのため、同滝が神宮関係者以外の人の目に触れることはほとんどない。
高麗広の開墾は1894(明治27)年ごろ。同地区出身で昨年まで今在家町7番組組長を務めた宮嶋浩一さんは、進修小学校高麗広分校最後の卒業生(卒業時18人)だ。宮嶋さんは「夏休み前の終了式後、大滝に登ってお参りをし、お菓子の入った紙袋をもらうのがとても楽しみだった。今でもこの滝は心の支え。この『大滝祭』への思いは今でも熱いが、近年少子高齢化の影響で参加できる人が減っている。祭り存続の危機に直面している」と打ち明ける。
現在の組長の小森慶一さんは「年に一度しか神宮の森の中に入れないこの唯一の祭典をいつまでも継続できるようにしていかなければならない。来年も多くの人が参加していただければ」と切望する。
当日は祭りの終了後、地元で採れた野菜などで手作りした料理や流しそうめんなどで直会(なおらい)を行い解散した。