伊勢神宮内宮(ないくう)の所管社で8月に社殿が新しくなりヒノキの匂い香る「御塩殿(みしおどの、みしおでん)神社」(伊勢市二見町)で10月5日、「御塩殿祭」が執り行われた。
伊勢神宮で使う御塩(みしお)は、真夏の7月17日~27日、五十鈴川の下流の淡水と海水が交じり合う場所から御塩浜(同)で昔ながらの入浜式製法で濃度の高い塩水「かん水」を作り、8月1日~3日、同神社裏の松林の中にある天地権現作りの御塩焼所で「かん水」を炊き上げ荒塩を作った。そしてこの日から5日間、荒塩をさらに「堅塩(かたしお)」に焼き固める御塩焼固(みしおやきかため)作業(毎年3月と10月)が行われる。
御塩焼固作業は、三角すいの土器(約1.1リットル)に荒塩を棒で固く押し詰めて御塩殿の中にある2基の釜で焼き固める。1日にできる作業は20個、5日で計100個の堅塩を作る。伊勢神宮では完成した堅塩を神饌(しんせん)や、祓(はら)い用の塩として、年間約200個(約162キログラム)使う。
この日は、小松揮世久(きよひさ)大宮司や亀田幸弘少宮司ら神職を始め、同神社崇敬会、全国の製塩業に関わる人たち合わせて約70人が、祭典を見守った。祭典では神饌をお供えし、祝詞(のりと)を奏上した後、参列者が玉串を奉納した。その後、石垣仁久権禰宜(ごんねぎ)が舞錐(まいぎり)式発火法により火を起こし、その火で釜に火が入れられ、御塩焼固作業が始まった。
鎌倉時代に書かれた「倭姫命世記」には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の鎮座地を求めて旅をしている倭姫命(やまとひめのみこと)にこの地の神・佐見都日女命(さみつひめのみこと)が「堅塩」を献上したと記されている。「伊勢新名所絵歌合」(1295年)下巻には二見浦での御塩作りの様子が描かれている。佐見都日女命を祭る「堅田神社」(同)は内宮摂社。