ヤマトタケルの姉に当たる第12代景行天皇の第7皇女「久須姫命(くすひめのみこと)・五百野皇女(いおののひめみこ)」を祭る「楠御前八柱神社(くすごぜんやはしらじんじゃ)」(志摩市浜島町南張)で2月26日、例祭が行われた。
「楠の宮(くすのみや)さん」として地元民に親しまれている同神社は、1907(明治40)年に近隣の八柱神社、若宮殿社、八重垣社を合祀(ごうし)し、1908(明治41)年2月23日には楠御前社を合祀して現在に至る。祭神は久須姫命、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)。
景行天皇と水歯郎媛(みずはのいらつめ)との間に生まれた久須姫命は、叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)の次の斎王として明和町の斎宮(さいくう・いつきのみや)に移り住み、斎宮へ来た最初の斎王といわれている。言い伝えによると、伊勢神宮に仕える久須姫命が、神饌(しんせん)を探すため志摩を訪れた際、丘の上に登り海上を眺めると打ち寄せる波の美しさに「この岬は大浪(おおなみ)張り来て良き地なり」と詠んだことからこの地区を「浪張り(なみはり)」と呼ぶようになり、次第に「南張(なんばり)」と言う地名になった。
久須姫命は南張に館を建て滞在し、斎王の任期満了後そこに住むようになり、伊勢神宮へ奉納する神饌(しんせん)について村人に指導し、90余歳の年を全う。その後村人が、久須姫命の墓を建てそのそばにクスノキを植え「楠太明神」として祭ったのが「楠の宮」の起源だという。しかしながら同神社に伝わる資料は1959(昭和34)年9月の伊勢湾台風ですべて流された。
昨年7月1日に中村昌司さんが宮司となった同神社。この日は、大西史晃(ふみてる)さんが宮司代理を務め、伊勢神宮から神職、楽師、舞女らが祭典を奉仕、地元の舞姫4人による浦安の舞も奉納された。大西さんは「平成最後の例祭となり5月1日からは新しい年を迎えることになる。皇室の弥栄(いやさか)、国家隆昌、五穀豊穣、みなさまにとって幸多い年となりますように」と言葉を残した。
同地区に住む92歳の堀尾平蔵(ひょうぞう)さんは「大西文松さんにより例祭が執り行われ、その後、大西家の文長さん、永晃さん、史晃さんへと継承されている。子どもが欲しい夫婦に文長さんが祈願すると健康な子どもを授かると評判を呼んだことから、大木になるクスノキにあやかって延命長寿の神さまと、子宝、安産の神さまとして慕われるようになった。多くの人にお参りしていただければ」と話す。
初めて参拝に来たという女性は「大変由緒のあるお宮で驚いた。ご本殿の御扉(みとびら)を開ける際に神職が発生する警蹕(けいひつ)の声がとても神秘的で、久須姫さまを身近に感じることができたような気がした」と笑顔を見せていた。