伊勢市出身のレーシングドライバー三宅淳詞選手が今シーズン、国内最高峰4輪レース「全日本スーパーフォーミュラ選手権」とGTレースの国内トップカテゴリー「SUPER GT」GT500クラスに出場する。
【その他の画像】三宅淳詞選手、スーパーフォーミュラ 鈴鹿合同テストに参加
三宅選手は3歳の時に父親の充司さんと「SUPER GT」のレースを鈴鹿サーキット国際レーシングコース(鈴鹿市、1周5.807キロ)で観戦したのがきっかけで、プロのレーシングドライバーに。伊勢市立北浜小学校・北浜中学校(伊勢市東大淀町)、伊勢学園(同黒瀬町)在学中、週末はレースに専念した。小学5年時に全日本カート選手権で日本一に。中学1年と高校2年の時に鈴鹿カート選手権でシリーズチャンピオン、2018(平成30)年にフォーミュラーカーレース初参戦で「Super-FJ」クラスシリーズチャンピオンになり、日本一決定戦で優勝。同年鈴鹿サーキットレーシングスクール フォーミュラ(SRS-F)を首席で卒業し、2019(平成31)年にはホンダの育成ドライバープログラムHFDP(Honda・フォーミュラドリーム・プロジェクト)の一員に選ばれ、フォーミュラーカーレースFIA-F4選手権に参戦。ルーキーながら年間ランキング2位を獲得したが、翌年の2020年はホンダの育成枠から外された。
2020年から2023年まで「SUPER GT」GT300クラスに「Max Racing」から参戦。2021年には鈴鹿第3戦で初優勝。全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権にも「Rn-sports」から参戦し2勝を挙げランキング4位に。2020年・2021年は「スーパー耐久レース」にも「Max Racing」から参戦した。2022年には「TEAM GOH」からスーパーフォーミュラ初参戦を果たし、オートポリス第4戦ではルーキーながら3位表彰台を獲得した。
三宅選手にチャンスを与え続けた「Max Racing」のチーム代表・大野剛嗣さんが、2022年3月に急逝。さらに2023年にはスーパーフォーミュラのシートを失うことになった。同年SUPER GT富士第4戦でマシンが炎上、チームはシーズン途中で撤退を余儀なくされ、三宅選手はただただ試練を受け入れるしかなかった。
そんな状況でもレース出場をあきらめずにトレーニングを続けていた三宅選手は今シーズン、「スーパーフォーミュラ」はチーム「ThreeBond Racing(スリーボンドレーシング)」(道上龍監督)からホンダのマシンM-TEC HR-417E(No.12)、「SUPER GT」は日産のワークスチーム「NISMO NDDP(ニスモ ニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム)」(島田次郎監督)から高星明誠選手と共に日産Z NISMO GT500(No.3)をそれぞれドライブできることになった。
道上監督は「僕も出場していた2021年のSUGO第5戦のGT300のレースで三宅とバトルした。サクセスウエイトを積んでいるにも関わらず、なかなか抜かせてもらえなかった。ガッツがあるいいドライバーだと思った(最終的には僕がオーバーテイクしたが…)。その当時、そんなドライバーがなぜホンダの育成枠から外れるのかと疑問に思っていた。今シーズンは、僕が監督で三宅がドライバーという関係でホンダのマシンで勝利を目指す。一方、SUPER GTでは日産のワークスチームからGT500のドライバーとしてステップアップして走る。ホンダと日産の車でトップカテゴリーのレースに出場することはとても珍しいことで、とても恵まれていると思う。きっと注目が集まるだろう」と話す。
三宅選手は、2月20日・21日に鈴鹿サーキットで行われた「スーパーフォーミュラ」の合同テストに参加。「ThreeBond Racing」のチームメンバーと共にマシンセッティングに余念が無かった。
三宅選手は「2日目はマシンのセッティングがうまくいかずグリップが効かなかった。開幕戦までに問題を改善してベストコンディションで臨みたい。今シーズンはこのような素晴らしいチャンスをいただけて感謝の気持ちでいっぱい。2カテゴリーとも、チーム一丸となって最高の結果を残せるように頑張るので応援よろしくお願いします」と話す。
開幕戦は、「スーパーフォーミュラ」が鈴鹿サーキットで3月9日・10日の「2024 NGKスパークプラグ 鈴鹿2&4レース」、「SUPER GT」が岡山国際サーキット(岡山県美作市)で4月13日・14日に行われる。