サーフィンを愛しサーファーたちに愛され続けた、志摩の「ヒコさん」の散骨式

ヒコさんが愛した南張海岸の沖合いにサーフボードと人の手によって作られた「尊敬と感謝の輪」ができた。

ヒコさんが愛した南張海岸の沖合いにサーフボードと人の手によって作られた「尊敬と感謝の輪」ができた。

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 「来るものを拒まず、すべての人を受け入れてくれるひとのいい人」とみんなが口を揃えて話すのは今年1月21日、肝機能障害が原因で他界した「ヒコさん」こと大西義彦さん。そのヒコさんの散骨式が5月4日、ヒコさんのホームグランド=南張海岸(志摩市浜島町)で行われた。

海に入る前にヒコさんの遺影とともに記念撮影

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 ヒコさんの遺影とともに記念写真を撮った約70人のサーファーたちが一斉に海に入ると、それまで静かだった海がいきなりうねりを伴い大きな波を作った。サーフボードにまたがったサーファーたちが海上で手をつなぎ輪になると、さらに大きなうねりが起こり、そのうねりに合わせサーファーたちはヒコさんに最後の別れ、感謝を告げた。陸からは約180人が手を合わせた。

 「自身もサーファーだった浜島町南張出身のヒコさんは、約40年前からサーファーたちと親しく関わり、サーフィンに対して否定的だった地元の人たちのパイプ役になり、南張のサーフポイントの環境整備、マナーの徹底などを実践し、地元民とも仲良く交流する関係を作っていってくれた」と浜島町出身の森傳一さん(55歳)と小堀陽一さん(45歳)は生前のヒコさんの功績を披露する。

 「31年前には南張でサーフィンの世界大会(サンスポスーパーサーフィン)が開催されたこともあり、ヒコさんの功績は大きく今でも尊敬している」と地元でサーフボードを製造するチャージサーフボード代表の奥村義久さんは話す。

 ヒコさんの遺志を引き継いだ森さんは「ヒコさんの『すべての人を拒まず受け入れる精神』をこれからも引継いでいきたい」と決意を固めた。そのほか、同公園敷地内に春から初夏にかけて赤い花を付けるデイゴの木を記念植樹した。

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