手植え・手刈りの稲作文化を後世に伝えようと車の車輪のような真円の田んぼ「長谷(はせ)の車田」(多気郡多気町長谷)の御田植祭が5月8日、地域おこしグループ「一八会」らの手により執り行われた。
天岩戸の岩の扉を引き開けたといわれるアメノタヂカラオを祭り古事記にも登場する佐那神社(仁田)神職の山下高史さんにより豊作祈願の祝詞が読み上げられ、続いて花がさ、かすりの着物姿の女性、すげがさ姿の男性計20人が、半径11メートル、約3.8アールの車田に入り、丁寧にもち米(品種=カグラモチ)を植えた。
長谷地区は長谷と神坂という山間の狭い地域にありながら、千年以上の歴史を持つ「近長谷寺(きんちょうこくじ)」「普賢寺(ふげんじ)」「金剛座寺(こんごうざじ)」が立つ歴史ある地域で、地元の人たちは「多気のチベット」とも呼ぶ。日本の田園風景を残すのどかな環境を持つ一方、今年4月末現在で13世帯約42人と過疎化・高齢化問題を抱える。
同水田は1998年、同会代表の逵(つじ)昭夫さん所有の3枚あった水田を新たに1枚の車田に変え、稲作文化継承とまちおこしを目的に米作りを開始。水田の半径11メートルは、地元近長谷寺の「十一面観音立像」(国宝)の「11」にちなんだ。
同会広報担当の奥山高祥さんは「現在、『車田』は、新潟県佐渡と岐阜県高山市にしか残っておらず、長谷のものを入れ全国に3カ所しかない。車状に植えるのは、豊作の神が降りてくる目印とも、恵みの太陽を表すともいわれている」と説明する。
毎年約150キロのもち米を収穫し、収穫した米は佐那神社と近長谷寺に奉納する。車田の中心の稲穂は初穂として伊勢神宮に奉納。収穫祭は9月中旬に開く予定。
奥山さんは「長谷の車田も今年で14年目を迎え、『御田植祭』『収穫祭』ともに、この地域の風物詩となった。初めは、限界集落といわれる小さな村の取り組みだったが多くの人に認知されるようになった。田植え、稲刈りに参加した子どもたちが郷土を思い、地域を元気にしてくれるよう継承していきたい」とも。
伊勢神宮神田(伊勢市楠部町)では今月7日、「神田御田植初(しんでんおたうえはじめ)」が古式ゆかしく執り行われた。昔から神宮神田と深い関わりのある楠部町の住民らが中心となって「神宮神田御田植祭保存会」を結成し、「祭り」としてまちを上げ盛り上げている。四季を通した生活の営みが、地域の祭りを通して住民の意識の中に伝えられていく。長谷の車田の「祭り」も住民の意識の中に伝えられ、また1年の歴史を刻む。