1949(昭和24)年に予定されていた式年遷宮が戦後の世情を配慮し1953(昭和28)年に延期された。「せめて宇治橋だけでも――」その年の伊勢人の熱い思いが20年に一度の宇治橋の架け替えを予定通り、次の20年へつないだ。2月1日に行われた「宇治橋渡納(わたりおさめ)式」に、そのときの伊勢人の心意気を見た。
宇治橋渡納之証として2月1日に配られた木札。焼印で「誉」の文字。
宇治橋架け替え奉祝委員会(会長=森下隆生伊勢市長)は、宇治橋への感謝の気持ちを形にしようと1月10日~31日の22日間、一般参拝客に記帳を呼びかけ、約103,000人分の記帳簿を完成させた。記帳した人には和紙で作った「宇治橋渡納之証」が配られた。22日間に記帳所、運営、PRなどに参加したスタッフは延べ1,000人に上る。
2月1日の「渡納式」には一般市民や県外からの参加者約8,000人が集合、一斉に宇治橋を渡った。1日の渡り納めに参加した人には、神宮造営用材残材で作られた「誉」と焼印が押された木札「宇治橋渡納之証」が全員に配られた。
「渡納式」に参加した松阪市出身の夫婦は「伊勢の人の心意気を感じて興奮した。20年ごとに代々引き継いでいくことの意味を深く考える機会になった」と。テレビ局の取材で参加したアナウンサーは「機会を与えてもらってありがたい。伊勢の人の心意気を感じた」と話した。
同2日には、宇治橋の守護神・饗土橋姫(あえどはしひめ)神社のお札を外す「万度麻奉下(まんどぬさほうげ)式」が厳粛に執り行われた。この日から、現在の宇治橋が解体され、11月3日の「宇治橋渡始(わたりはじめ)式」を目指して新たな橋の建設が進められる。