日本武尊(やまとたけるのみこと)の姉に当たる第12代景行天皇の第7皇女・久須姫命(くすひめのみこと)・五百野皇女(いおののひめみこ)を祭る「楠御前八柱神社(くすごぜんやはしらじんじゃ)」(志摩市浜島町南張)で例祭が行われた。
楠の宮(くすのみや)として親しまれている同社は、1907(明治40)年に近隣の八柱神社、若宮殿社、八重垣社を合祀、1908(明治41)年2月23日に楠御前社を合祀し現在に至る。今年がちょうど創立110年。祭神は久須姫命のほか、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)を祭る。
景行天皇と水歯郎媛(みずはのいらつめ)との間に生まれた久須姫は、叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)の次の斎王として明和町の斎宮(さいくう・いつきのみや)へやってきた。斎宮へ来た最初の斎王といわれている。言い伝えによると、伊勢神宮に仕える久須姫が、神饌を探すため志摩を訪れた際、打ち寄せる波の美しさにこの村を「浪張り」と呼んだことから「南張(なんばり)」と言う地名になったという。さらにその後南張に住み着き90余歳の年を全うしたというが一方で、津市美里村五百野(いおの)には、五百野皇女が都へ帰る途中、この地で病気になり亡くなったという伝説が残り、その地に「景行天皇皇女久須姫命之古墳」の碑が立てられている。
今年2月に急逝した宮司の大西永晃さんに代わって宮司代理を務める大西史晃(ふみてる)さんは「当社に伝わる資料はほとんどすべて1959(昭和34)年9月の伊勢湾台風で流されてしまったと聞いている」と話す。
この日は、伊勢神宮から神職、楽師、舞女も祭典を奉仕、地元の舞姫4人による浦安の舞も奉納した。大西さんは「当初天気予報では大雨だったが、朝には雨が上がり祭典が始まると風が吹き太陽が顔を出した。皇室の弥栄、国家隆昌、五穀豊穣をお祈りした」とも。