現役の鳥羽市長・中村欣一郎さんが8月8日、献血回数200回目となる献血を伊勢献血ルーム「ハートワン」(伊勢市船江、TEL 0120-25-7821)で行った。
中村さんはこの日、成分献血を行い200回を達成。同ルーム所長の水井一貴さんから、日本赤十字社から50回毎に贈られる記念品(ガラス杯)と「献血200回記念」と書かれた感謝状が手渡された。三重県赤十字血液センター(津市)によると、その年に献血回数が200回に達した三重県の献血者数は2019(令和元)年度が29人、2018(平成30)年度が43人、2017(平成29)年度が31人だったという。
献血ができるのは、体重男性45キロ以上、女性40キロ以上(400ミリリットルの場合は男女とも50キロ以上)、最高血圧90水銀柱ミリメートル以上、年齢16歳から69歳、その日の体調が良い健康な人などの条件がある。採血してから次回の採血までには、200ミリリットルの場合4週間、400ミリリットルの場合男性12週間、女性16週間、成分献血(血しょう・血小板)の場合2週間の間隔を開けなければならない。
1958(昭和33)年12月28日生まれ現在61歳の中村さんは「初めて献血をしたのは、東京・新宿駅西口の高層ビルへつながる通路にいた献血バスの中。たぶん20歳の時で誰に誘われたわけでもなく一人で歩いていてふらっと入った。小学生の頃に、父が一生懸命献血推進活動をしていたのが頭にあり、いつかは自分も世の中のためにするものだと思っていたのが献血を始めるきっかけ」と話す。
「こんなちょっとしたことで、こんなに気持ちよくなれる(世の中のためになれる)のかという気持ちが継続できた原動力。これまで三重県以外でも20都道府県の場所で献血した。1995(平成7)年には阪神・淡路大震災の復興支援ボランティアで行った時の5月4日に献血バスを見つけたのでさせてもらった」と中村さん。
鈴木英敬三重県知事は「献血は、ご協力いただける方の安全を第一としていることから、献血をしてから次回、献血を行うまでに間隔が必要となる。200回の献血を行うためには相当の期間にわたり献血にご協力いただく必要がある。中村市長の日頃からの献血運動への格別のご理解、ご協力を賜っていることに、あらためてお礼を言いたい」と話す。
同センターによると、三重県は10代と20代の献血者数(日本の人口で割った献血率)が長年全国最下位を続けているという。1986(昭和61)年には10代の献血者数は2万461人全国16位だったが、全国に先駆けて400ミリリットル献血の推進などを行い、16歳から可能だった200ミリリットル献血を献血バスでは行わなくしたことなどさまざまな原因により年々順位を落とすことになった。
全国最下位を問題視した鈴木知事は、2015(平成27)年5月に「三重県の高校3年生の皆さまへ」と献血への協力を呼び掛け、県内の高校を巡回する「献血セミナー」を開始(年間50校以上を巡回)、高校生による献血ボランティア「ヤングミドナサポーター」制度を導入(会員825人)した。その結果、全国最下位のままではあるが、10代の献血者数が2014(平成26)年に1194人から、毎年増加し2018(平成30)年に2095人、2019(令和元)年には2077人に好転した。
中村さんは「若い世代の献血離れは、漠然と感じていたが県議会議員になった時、三重県の若者献血率が断トツで全国最下位だと知った。議会の一般質問でも何度か取り上げ、知事にも進言したところ、それまで途絶えていた『献血セミナー』が県内の多くの高校で開催されるようになった。献血をしに献血ルームに行くと『セミナーを聞いた高校生が、早速連れだって来てくれた』と知らされ、とてもうれしくなったことがある」とほほ笑む。
今年4月にも献血を行い、知事就任期間中に計8回献血を行ったという鈴木知事は「県民の皆さまには、一人一人の行動が輸血を必要とする患者の命を救うことを知っていただき、引き続き、献血へのご協力をお願いしたい」と呼び掛ける。
中村さんは「一人が回数を重ねてもたかが知れている。若い世代に献血の楽しみや献血を通して得られる『社会とつながっている感』を伝えたい」とも。
伊勢献血ルーム「ハートワン」の受付時間は、全血献血=10時~11時45分・13時~17時30分、成分献血=10時~11時・13時~17時。金曜定休。予約・問い合わせは同施設(フリーダイヤル)まで。