志摩市阿児町の国府浜(こうのはま)の海岸から1月1日、令和3年最初の太陽の光が、明るく世界を照らし温かく包み込んだ。
関西エリアのサーフィンスポットとして人気の国府浜。堤防に立つと正面に太平洋が広がり、初日の出は、南東の方角の水平線から姿を出す。東の方角には直線距離で200キロ以上離れる富士山が海の上に浮かんだように現れる。
この日は水平線付近に雲があり、富士山を望むことはできなかったが、「天使のはしご」とも言われる光芒(こうぼう)・薄明光線を放ちながら、雲の合間から太陽が姿を表した。
砂浜や堤防には、初日の出を見ようと近くに住む人や観光客らが集まり、スマホやデジカメを手に朝日を浴びて笑顔で撮影している様子が見て取れた。愛知県から訪れた50代の女性は「昨年はコロナで大変な一年だった。今年もまだまだどうなるかわからないが、コロナ禍で当たり前であることが当たり前ではなく、とても有り難いことであることに気付かされた。今日見ることができた初日の出にもただただ感謝し、自然と手を合わすことができた」とほほ笑む。
滋賀県出身で伊勢神宮の祭典や風景、日本の伝統文化、神話、四季折々の風景などを撮影する風景写真家の岩咲滋雨(いわさきじう)さんは「日本書紀に、第10代崇神天皇ご即位5年に疫病が流行し多くの人が亡くなり、翌年、疫病を鎮めるために天照大御神(あまてらすおおみかみ)を宮中の外で祭ろうと、その場所を求めて豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託し、その後倭姫命が継承し、今の伊勢神宮にお祭りされるようになったと知らされた」と話す。
日本書紀によると、宮中で倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)と天照大御神を同時に祭っていたことが疫病万延の原因と信じた崇神天皇が、即位6年に二柱の神を宮の外に出すことにした。すると2年後に疫病が収束し、世の中が平和になったとされる。日本武尊(やまとたけるのみこと)の叔母にあたる第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が、伊勢の地にたどり着いた際に「神風(かむかぜ)の伊勢の国は 常世(とこよ)の波の重浪(しきなみ)の帰(よ)する国なり 傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり この国に居らんと欲(おも)う」(この神風の伊勢国は、常世の波が絶え間なく打ち寄せる国である。大和からは遠い国ではあるが美しく素晴らしい国である。この国に居たいと思う)と神託を受け、伊勢の地に天照大御神を祭ったのが伊勢神宮創建の起源とされる。
岩咲さんは「とても穏やかでやさしい風が吹く元日の朝の、寄せては返す『しきなみ』を撮影させていただき、国民のため疫病を収束させようとお祈りされたであろう天皇陛下の思いに、時空を超えてつながったような気がした。新型コロナウイルス感染拡大が早く鎮まりますようにと願いを込めて撮影させていただいた」と思いを込める。