大豊和紙工業(伊勢市大世古)の関連会社・神都製紙の「手漉(てすき)部」に配属された4月入社の新卒社員がこの度、長さ2.4メートルの特大和紙「伊勢和紙」をすいた。
【その他の画像】新入社員の山本さんと手すき歴23年の中島鉄兵さん
1899(明治32)年の創業以来、伊勢神宮のお神札(ふだ)に使う和紙を製造する同社。市販のインクジェットプリンターで気軽に印刷できる「伊勢和紙」シリーズは、廉価な「機械すき」と職人が一枚一枚手ですく「手すき」を販売する。
今春、京都伝統工芸大学校(京都府南丹市)を卒業した山本藍美さんは2000(平成12)年生まれで、広島県福山市出身。同大和紙工芸科で和紙作りについて学んだ。
中北喜亮(なかぎたよしあき)社長は「手漉部のマネジャーを務める中島鉄兵さんが入社して以来の手すき要員なので、約20年ぶりの新卒社員。山本さんには今年2月からアルバイトとして中島さんとコンビを組んで手すき和紙の作業をしてもらっていた」と話す。
同社は特大の伊勢和紙をすくための装置を新しく作るため、大判の和紙をすく越前和紙の工場を見学するなどして取り組み、大学で知識と経験を持つ山本さんを引き寄せ、特大の伊勢和紙製造に臨んだ。特大の伊勢和紙は、長さ約2.4メートル、幅約1.5メートルの「五八判」と呼ぶ大きさで、現在の大判インクジェットプリンターでプリントできる最大の大きさになる。
山本さんは手すき歴23年の中島さん指導の下、和紙の原料のコウゾを水やトロロアオイなどで溶いた原液が入った水槽に、竹で編んだ簾(す)を敷いた木枠を入れ、2人で息を合わせて揺すりながら原液をすくい薄く伸ばす作業を繰り返し、すいた和紙を圧縮させて水を抜き、アルミの板に貼り付け乾燥させて完成させた。
中北社長は「伝統は、守るものではなく、改革・変革・改良を重ねた結果や、その歴史のこと。今年で創立125年目になるが、最初は全て手すきによるものだった。60年ほど前、人材不足などにより機械すきを導入。原料もある日突然届かなくなったことも何度も経験してきた。そのようなピンチにも柔軟に対応し、改革して今日の『伊勢和紙』が存在する。今回の五八判もそう。これまで0.86メートルが最大幅だったが、それよりも広い幅の和紙の需要が高まり、十数年ほど前に四八判(長さ2.4メートル、幅1.1メートル)を、そして今年初めて五八判にチャレンジした。我々は伝統産業と呼ばれていても進化していく会社。山本さんには和紙、和紙作りをいつまでも好きでいてほしい。今後の活躍に大いに期待している。一緒に頑張りましょう」とエールを送る。
山本さんは「この人がすいた和紙が使いたいと思ってもらえるような職人になりたい。伝統は継承していくものだと思うので、次の世代に継承していけるまで頑張りたい」と意欲を見せる。
山本さんがすいた五八判の「伊勢和紙」にプリントした写真が現在、東京「キヤノンギャラリーS」(港区港南)で開かれている写真家・三輪薫さんの写真展「『風の香り』~日本のこころの自然風景~」で作品となって展示されている。5月18日には中北喜得大豊和紙工業会長とのトークイベントも予定する。6月12日まで。