伊勢神宮で執り行われるほぼ全ての祭典で使う日本酒「御料酒(ごりょうしゅ)」を毎年納めている「白鷹」(兵庫県西宮市)が献納100年を記念して10月19日、内宮(ないくう)参集殿前で参拝者にたる酒を振る舞った。
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伊勢神宮では食の神様「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」を祭る外宮(げくう)の鎮座からの1500年以上前から毎朝晩行う祭典「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」を始め、ほぼ全ての祭典で神饌(しんせん)の一つとして清酒(きよざけ・せいしゅ)を供えている。「神嘗祭(かんなめさい)」「月次祭(つきなみさい)」の三節祭では、濁り酒で白い「白酒(しろき)」、草木灰を加えた黒い「黒酒(くろき)」、甘酒のような一夜酒(ひとよざけ)の「醴酒(れいしゅ)」の3種類を神宮内で醸造し、清酒を加えた4種の「御料酒」を供える。
1862 年、初代辰馬悦蔵によって創業された白鷹。酒米は三木市吉川町の市野瀬と楠原の特A地区で100年以上前から農家と酒蔵が直接取引する「村米制度」を全国で最初に取り入れ、契約栽培で育てた山田錦だけを原料として、水は六甲山系から流れる伏流水で酒造りに必要なリンやカリウムが豊富で、鉄分の少ない硬水の「宮水」を使用。酵母を大量培養させた酒母(しゅぼ)による伝統技法「生(き)もとづくり」を守り続けて醸造する。同社営業部部長の堀井研伸さんは「白鷹は、寒造りで、熟成酒に向き、腰のある飲み口が特徴。濃醇でうまみのある辛口の酒に仕上がる」という。
同社は1924(大正13)年から伊勢神宮の御料酒を献納し、今年で100年を迎えた。堀井さんによると、「御料酒に至った経緯は、3代目辰馬悦蔵が代表の時、伊勢神宮で務めていた神職が明治中期、当社近くの廣田神社(兵庫県西宮市)の宮司となり、白鷹の酒をとても気に入っていただいた。宮司を辞した後は伊勢に帰られた。その頃、伊勢神宮では御料酒の中でも清酒を使う量が最も多く、神宮内での醸造に限界があり外部委託を検討していた。その際にその神職の勧めで選定されたと聞いている。諸説あるが、大正天皇の即位式の際に、厳選された日本酒が供され、白鷹もその一つに選ばれた。その際、大正天皇が白鷹を大変気に入り、後に御料酒に選定されたとも聞いている」と説明する。
同社ではその年にできた清酒の中で最もよくできたものを「厳選」し、同社敷地内に設置する「伊勢神宮御料酒庫」にて厳正に保管し熟成させる。年間一升瓶当たり合計360本(2カ月に1度60本を計6回)を伊勢神宮に100年間納め続けている。
100年前の1924(大正13)年。その頃の日本は、1919(大正8)年までは第一次世界大戦の特需景気に沸き経済発展していたが、1920年代に入ると大戦景気の反動による戦後恐慌、1923(大正12)年の関東大震災による震災恐慌、金融恐慌など経済的な苦境が続いた。1926(大正15・昭和元)年には大正から昭和に改元。1929(昭和4)年米国を発端とした世界恐慌の影響を受け日本も1931(昭和6)年まで戦前の深刻な危機・昭和恐慌に。1939(昭和14)年には第二次世界大戦勃発、1941(昭和16)年太平洋戦争に発展。東京大空襲、沖縄戦などを受け1945(昭和20)年8月、2発の原子爆弾が広島と長崎に落とされ終戦。戦中から戦後にかけ慢性的な食糧・物資不足がしばらく続いた。
この日は「神宮御料酒献納100周年記念行事」として伊勢神宮内宮宇治橋前から神楽殿に向け社員27人で奉納行列を行い、神楽奉納、正式参拝の後、12時ごろから、72リットル入りの酒だるに入った清酒「白鷹」の振る舞いを行った。
神宮司庁の担当者は「100年前は戦中戦後で、伊勢神宮でも物資がなく、清酒を造るコメも不足していた時だった。当時を想像すればとても大変な時代だったと思うが、そのような環境下でも御料酒を納めていただき、大変だった神宮を支えていただいた。阪神淡路大震災で工場が被災した時でも欠かすことなく御料酒を納めていただき、心より感謝したい」と話す。
同社5代目の澤田朗社長は「今では西宮から当社のトラックで御料酒を納めることができるが、100年前は電車を乗り継ぎ運搬していた。当時の従業員は、神様のお酒なので足元に置くわけにはいかず、重い酒だるを天びん棒で担いだまま宇治山田駅までずっと立っていたと聞く。中には一杯飲ませてくれと言ってくる乗客もいたらしい。伊勢神宮では20年に一度の式年遷宮があり、その度ごとに次の代につないでいる。我々もこれからも変わることなく、いいお酒を造り、伊勢神宮に納めることができるように次の代につないでいけるように精進していく」と話す。
同社は現在、「吟醸純米 伊勢神宮御料酒蔵 献納100周年 0.5L」(1,540円)を本年度限定で販売している。