「富士山の肩から出る朝日」伊勢から200キロ-梅雨の合間の雲のすき間から

「富士山の肩から出る朝日」伊勢から200キロ-梅雨の合間の雲のすき間から

「富士山の肩から出る朝日」伊勢から200キロ-梅雨の合間の雲のすき間から

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 標高555メートルの朝熊岳(あさまだけ)から6月24日、夏至の前後10日間にしか見ることができない「富士山の肩から出る朝日」が現れた。

雲と地平線のすき間から富士山、朝熊岳から。手前には映画「潮騒」の舞台になった神島。

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 伊勢神宮の奥の院、または伊勢神宮の鬼門(北東=丑寅)を守る寺として昔から伝えられる「金剛證寺(こんごうしょうじ)」(伊勢市朝熊町岳)が山頂に立つ朝熊岳から富士山頂までは直線距離にして約200キロ。「朝熊」はアイヌ語で「日が出てキラキラと光り輝く神」「太陽」を意味する言葉だという。地元では「たけさん」と親しみを込めて呼ぶ。夏至の日に朝日が富士山に最も近づくが、梅雨時期のため雲が厚く太陽が出ることが少なく朝日と富士山を同時に見ることは極めて難しい。

 金剛證寺は、第29代欽明天皇(539~571)のころ暁台上人によって開かれ、825年(平安時代)に弘法大師(空海)が密教修業の大道場として中興。その後衰退し1392年、鎌倉建長寺71世の仏地禅師が再興、真言宗から臨済宗に改宗した。現在は臨済宗南禅寺派、別格本山。毎年仏地禅師の命日(6月29日)に師を祭り、この1年に亡くなった親族や先祖の塔婆(とうば)供養などをする「開山忌(かいさんき)」が27日~29日にあり、多くの人でにぎわう。伊勢志摩地域では昔から「岳参り」と呼ばれ、宗派を問わず葬儀の後、同寺奥の院に塔婆を立て供養する。

 「越中富山の反魂丹(はんごんたん)、鼻くそ丸めて萬金丹(まんきんたん)」と親しまれた伊勢の伝統薬「萬金丹」は仏地禅師に随行した野間宗祐が創薬したと伝えられている。「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節にも唄われ、江戸時代から伊勢神宮と同寺を参詣する風習があったが、今はその風習も廃れてしまった。

 近年のトレッキングブームから朝熊山登山コース(近鉄朝熊駅から約2時間)が整備され人気を集めている。晴れた週末には登山道がトレッカーでにぎやかになる。「富士山の肩から出る朝日」を撮影するためには今のところ、この登山道を登るしかない。

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