伊勢神宮の専用の水田「神宮神田」(伊勢市楠部町)で4月4日、1年の耕作始めに当たる「神田下種祭(しんでんげしゅさい)」が行われた。
日本神話「天孫降臨」で、高天原で行っていた稲作をアマテラスから子孫のニニギに託したことをルーツに、伊勢神宮では「稲作・米作り」を尊んでいる。神宮で執り行われるほとんど全ての祭典がこの稲作などを通した五穀豊穣(ほうじょう)への願いにつながっている。同祭はその米作りの最初の祭典となり、毎年4月の初めに行われている。
この日は風もなく雲一つない快晴の穏やかな天気の中、小松揮世久(きよひさ)大宮司ら神職と地元楠部町の人々が見守る中、同祭が行われた。
最初に田を耕す道具「忌鍬(ゆくわ)」を作るために、童男(どうなん)と神職らが、神田奥の「忌鍬山」に入り、麓にある山口祭場で山の神に忌鍬がうまく出来上がるように祈る「山口祭(やまぐちさい)」を行い、童男が忌鍬で山に入るための草を刈る所作を行う。その後、山頂まで登り木の神に鍬(くわ)の柄となる木を切ることの許しを請う「木本祭(このもとさい)」を行い、童男が櫟樫(いちいがし)の木を切って鍬の柄を作る。鍬が完成すると禰宜(ねぎ)以下の奉仕員は、「まさきのかづら」と呼ぶテイカカヅラのつる草を円形に編んで烏帽子(えぼし)に飾り下山する。山から下りてくるまでに約1時間を掛ける(非公開)。
神田下種祭では、祭場にタイや伊勢エビなどの神饌(しんせん)を供え、田の神を祭り祝詞(のりと)を上げると、続いて黄色の装束をまとった神宮技師・作長の山口剛(つよし)さんが、完成したばかりの鍬を持ち、左右正面に3回耕す所作を正面、西、東の計3回行う。続いて禰宜から作長に「忌種(ゆだね)」と呼ぶ清浄な米の種が手渡され、作長はそれを白装束姿の作丁(さくてい)と呼ぶ奉仕人に振り分け、作丁2人が神田に種をまいた。
この時に古来より歌い継がれている御田歌(みたうた)「天鍬(あめくわ)や 真佐岐(まさき)のカヅラ 笠にきて 御田(みた)うちまわる 春の宮人」と唱和する。平安時代から続くとされる同祭はかつて「鍬山(くわやま)神事」「鍬山伊賀利(いがり)神事」とも呼ばれた。
今年の童男には、中学1年生の森本太一さんが選ばれた。
神宮神田の総面積は約10ヘクタール、神田の作付面積は約3ヘクタール。祭典用水田の面積約862平方メートル。神田には神宮の祭典で使う新米のほか餅や酒の原料用として、うるち米やもち米を作付けする。5月に「神田御田植初(おたうえはじめ)」が行われる。