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伊勢・朝熊岳金剛證寺奥の院でミキモト創始者の妻・うめの墓前のウメの花が見頃

伊勢・朝熊岳金剛證寺奥の院でミキモト創始者の妻・うめの墓前のウメの花が見頃

伊勢・朝熊岳金剛證寺奥の院でミキモト創始者の妻・うめの墓前のウメの花が見頃

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 「ミキモト」創始者の御木本幸吉を陰で支えた妻・うめの墓のある「朝熊岳(あさま)金剛證寺(こんごうしょうじ)」(伊勢市朝熊町)奥の院境内のウメの花が現在、満開の見頃を迎えようとしている。

【その他の画像】御木本幸吉を陰で支えたうめの墓前のウメの花

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 1881(明治14)年、17歳のうめは23歳の幸吉と結婚。幸吉が真珠養殖事業を進めている間、5人の子どもを育て、家業のうどん店を切り盛りした。1893(明治26)年7月、赤潮の被害を受けアコヤ貝がほぼ全滅し、落ち込む幸吉と励まし合いながら1個1個死んだ貝を確認しているとその中から5つの半円真珠を見つけた。1896(明治29)年1月27日、半円真珠の特許を取得し、ようやく事業化のめどがつき、これからという同年4月24日、32歳の若さで亡くなった。

 伊勢神宮と深く関わる歴史を持つ同寺院は、伊勢志摩で最も高い標高555メートル朝熊岳の頂上付近に建ち、欽明天皇時代(540年~)に僧・暁台が開山したと伝わる。平安時代、825年に弘法大師空海が仏道修行の道場を開き隆盛を極めた。現在は臨済宗南禅寺派が管理運営する。「伊勢神宮の奥の院」または「伊勢神宮の鬼門(北東=丑寅)を守る寺」としても知られる同寺院は、伊勢音頭の一節に「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と詠(うた)われ、江戸時代から伊勢神宮と同寺院の参詣はセットで行われていたという。

 奥の院・呑海院(どんかいいん)は、塔婆(とうば)供養を行う場で、参道には見上げるほどの高さの塔婆が無数に立ち、奥の院からは富士山も眺めることもできる絶景地。かつて一休禅師が「海を呑む 茶の子の餅か 不二の雪」と詠んだ句が残っている。

 奥の院境内で唯一営業する茶店「富士見亭竹屋」店主の竹内民子さんは現在85歳で、50年以上に渡り店を切り盛りしている。竹内さんは「境内には3つのウメが順番に花を咲かせる。一番古い山門近くのウメの木は2月ごろに、真ん中のものが3月ごろに、共に白い花をつける。現在咲いている一番大きなウメの木はピンク色。朝熊山山頂は地上との温度差が5度低いので、ウメの花も時間差で咲いてくれる。今が見頃。御木本幸吉さんが植えたボタンザクラもこれから花をつける。春は楽しみばかり」とほほ笑む。

 万葉集・梅の花の歌32首の序文の一部「初春の令月(れいげつ)にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫す」からとった新元号「令和」のウメの花の色は白。

 4月8日時点では先の2本の白色の花が終わりピンク色のウメの花が8部咲きだったが、真ん中のウメの木に、咲き遅れた白色の花が数輪つけていた。竹内さんは「令和に年号が代わってから咲く白いウメの花が待ち遠しい。まもなくうめさんの命日になるが、うめさんはどんな思いで令和の時代を見ているのでしょう」と話す。

 同寺院へのアクセスは観光有料道路「伊勢志摩スカイライン」にて。通行料金は、自動二輪車=880円、軽・小型・普通自動車=1,250円。9月~4月の開門時間は7時~19時。

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