伊勢神宮について歴史や文化を伝える博物館「神宮徴古館」(伊勢市楠部町)で10月13日、伊勢神宮の別宮「倭姫宮」(伊勢市楠部町)鎮座100周年を記念し、同宮の主祭神「倭姫命」を顕彰する記念展が始まった。
【その他の画像】神宮徴古館で倭姫宮創祀百周年記念展「皇女 倭姫命 天照大御神の御杖代として」
倭姫宮創祀百周年記念展「皇女 倭姫命 天照大御神の御杖代(みつえしろ)として」と題した同展。倭姫命は第11代垂仁天皇の第4皇女で、第12代景行天皇の皇子で第14代仲哀天皇の父=日本武尊(やまとたけるのみこと)の叔母に当たる。日本武尊が東国征伐の時に三種の神器の一つ「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」(後の「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」)と火打ち石の入った袋、そして心構え「慎之莫怠也(つつしみてなおおこたりそ)」を与えたとされる。約2000年前、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の鎮座地を求めて大和国から、伊賀、近江、美濃などの諸国を転々と巡り、紀元前4年に伊勢の国にたどり着き、五十鈴川上に現在の伊勢神宮内宮(ないくう)を創建したとされる。斎王の始まりを示す存在としても紹介される。
江戸時代に倭姫命について研究する学者らが現れ、倭姫命を祭る社殿がなかったことから、江戸時代前期に伊勢神宮の河辺精長(きよなが)大宮司が常明寺の門外に社「尾部社(おべのやしろ)」を建てて祭った。その後、尾部社は取り壊されたが、外宮神主の喜早清在(きそうきよあり)が倭姫命の功績をたたえ社の必要性を訴えた。明治に入り倭姫命を祭る別宮の創設を願い、大正時代に神社創建の動きが具体的になり帝国議会の承認を得て、1923(大正12)年11月5日に内宮の別宮として現在の倉田山の地に、伊勢神宮125社の中で最も新しい神社として100年前に創建された。
同展では、倭姫命を顕彰し、倭姫命を歴史、伝承、信仰の視点から関連する絵画や彫刻、古文書、当時の倭姫宮創建時の資料、100年前に倭姫宮に納めた刀や弓、鏡など13点の御装束神宝を展示。伊勢に4度行啓された貞明皇后に倭姫命・倭姫宮について説明する際に作った資料なども紹介する。
学芸員の深田一郎さんは「日本武尊に剣を授ける倭姫命の絵は今回初公開。倭姫宮だけの神宝・直径約6センチの水晶の大玉『御玉(おんたま)』、生涯に1781体の倭姫命像を彫った彫刻家の板倉白龍の一体、第30代内閣総理大臣・齋藤實の書『慎之莫怠也』を展示する。倭姫宮への参拝と併せて立ち寄っていただければ」と話す。