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伊勢で「ヤマトタケルゆかりの火打ち石」探しツアー 伊勢経発足10周年記念企画

ヤマトタケルを助けた「火打ち石」を探すツアー企画(写真はヤマトヒメがここからの眺めの美しさに感動したとされる乙女岩の山頂)

ヤマトタケルを助けた「火打ち石」を探すツアー企画(写真はヤマトヒメがここからの眺めの美しさに感動したとされる乙女岩の山頂)

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 伊勢志摩経済新聞(以下、伊勢経)が5月20日、「ヤマトタケルゆかりの火打ち石」を探すツアーを行う。同編集部では現在、参加者を募集している。

【その他の画像】ヤマトタケルを助けた「火打石」を探すツアー

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 5月31日の伊勢経発足10周年記念企画の一環。

 日本神話によると、ヤマトヒメは第11代垂仁天皇の皇女で伊勢神宮の創建に関わった人物で、ヤマトタケルの叔母にあたる。ヤマトタケルは、第12代景行天皇の皇子で第14代仲哀天皇の父。東征の際に伊勢にいたヤマトヒメを訪ね、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と袋に入った「火打ち石」を渡され、「慎んで怠ることなかれ」と教訓をもらう。その後、現在の静岡県焼津あたりで敵の火攻めに合ったヤマトタケルは、天叢雲剣で身の回りの草を刈り、袋に入っていた火打ち石で火をつけて向かい火を起こし、難を逃れた。天叢雲剣はその後「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と名前を変え、その地が「焼津」と言う地名になったという。

 伊勢経編集部では今回、三種の神器の草薙剣と同等に重要な役割を果たしたにも関わらず、これまで注目されてこなかった火打ち石にスポットを当てたツアーを企画する。

 伊勢経編集長は「推測の域は出ないが、伊勢にいたヤマトヒメが火打ち石を持っていたということは、火打ち石が伊勢のどこかで産出されたものである可能性が高いこと、度会町に『火打石』という地名があることなどから、国史、民俗学、地質学、ファンタジー性を総合的に考えて、ある一定の結論に達したため、今回のツアーで謎をひも解いてみたいと思う」と話す。

 旅行会社「旅日記」(伊勢市浦口)と共同で開催する同ツアーの募集定員は20人。ツアー当日は、宮リバー度会パークに集合し、「久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ)」や「乙女岩(おとめいわ)」(以上度会郡度会町)、「仙宮神社(せんぐうじんじゃ)」(度会郡南伊勢町)などヤマトヒメ伝承地を巡りながら、実際に火打ち石を探す。

 同編集長は「草薙剣と同じくらいに重要なアイテムが今日まで調査されてこなかった。もし火打ち石が無かったら今の日本はどうなっていたのか。ヤマトヒメがなぜ火打ち石を手渡したのかについても探っていきたい」と意欲を見せる。

 ツアーの参加申し込みは、フェイスブックページ「旅日記主催 火打石を探しに出かけるツアー」で受け付けている。

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