第63回式年遷宮に向けた重要祭儀「木造始祭(こづくりはじめさい)」が4月21日、伊勢神宮の内宮(ないくう)と外宮(げくう)の両宮で執り行われた。
伊勢神宮で「木造始祭」 第63回式年遷宮の造営作業いよいよ本格始動 内宮
木造始祭は、天皇陛下の御治定(ごじじょう)により定められ、造営工事開始に当たり、御用材に墨を打ち、おのを入れ、建物の守護神・屋船大神(やふねのおおかみ)に社殿の建築がいよいよスタートすることを報告し、作業の安全を祈り、美しく造り奉ることを祈る祭典。
内宮では午前7時、斎館の前に神宮式年造営庁と神宮司庁の職員が整列。同庁総裁を兼務する久邇朝尊(くにあさたか)大宮司や同総長の齊藤郁雄少宮司らが見守る中、五丈殿(ごじょうでん)での「饗膳(きょうぜん)の儀」を経て、12日の「お木曳初式(きひきぞめしき)」で神領民(伊勢市民)らに運び込まれた長さ約6メートルの「役木(やくぎ)」3本に、素襖(すおう)、烏帽子(えぼし)姿の小工(こだくみ)2人が木口をのこぎりで切りそろえ、「墨縄(すみなわ)」と「曲尺(さしがね、L字型の定規)」を用いて墨を打つ所作を行った。続いて技監1人、技師3人、そして小工9人が順番に手斧(ちょうな)を「左・右・中」と振り下ろした。
正午に始まった外宮の祭儀では、内宮とは異なり、まず祭儀と木造りの所作が行われた後に「饗膳の儀」が営まれた。外宮では「切りそろえ」「墨打ち」を行わず、手斧を打ち立てる所作のみに集中して執り行われるのが特徴。神宮参事で広報室次長の音羽悟さんは「明治期には内宮の形式に合わせる形で外宮の儀式が行われていた時期もあったが、昭和に入り本来の姿に戻すべきとの判断から、現在の外宮独自の作法へと復古された経緯がある。いつ、どのように戻したかという事実は記録に残っているが、当時の人々が、なぜその決断に至ったのかという具体的な理由や背景までは残っていない。記録された事実の行間にある、伝統への思いを守り伝えていくことが重要」と20年に1度の遷宮をつなぐ意義を語る。
今回の祭典では、神宮神職の子どもから選ばれ、父とともに前日から斎館にこもって祭典に臨む「物忌(ものいみ)」と呼ぶ童男、童女が奉仕した。内宮では西本葵さん(西本俊一朗宮掌の次女、四郷小3年)と北川陽大さん(北川峻佑宮掌の長男、厚生小3年)が、外宮では川越おとさん(川越文尊宮掌の長女、浜郷小2年)が務めた。
当日は朝から小雨が降り、内宮では祭場にテントを張り祭典が行われたが、外宮では一転、雨が上がり新緑の美しさが際立つ木々の中で粛々と祭典が執り行われた。神宮の杜(もり)にはキビタキやカワラヒワなどの鳥たちのさえずりが響き渡っていた。
両正宮での祭典を終え、22日からは別宮でも同祭が順次執り行われる。22日には、内宮の第一別宮である荒祭宮(あらまつりのみや)と、外宮の第一別宮である多賀宮(たかのみや)で祭典が営まれた。23日に月讀宮(つきよみのみや)の4宮、25日に伊雜宮(いざわのみや)や、奥伊勢の瀧原宮(たきはらのみや)の2宮、27日に風日祈宮(かざひのみのみや)、倭姫宮(やまとひめのみや)、28日に土宮(つちのみや)、月夜見宮(つきよみのみや)、風宮(かぜのみや)で、それぞれ進められる予定。